【なんでもない幸せ】

今日も母といられると、

共に同じ空間にいて、

一緒に呼吸してるというだけで

嬉しくて幸せだった。


特に朝は、反応が良く

顔を合わすと、ニコッと笑う。


おはようと声をかけると

「おはよう」と返す。


そんななんでもない、やりとりが

とてつもなく、幸せだった。

母を独り占めにしてるようで、

罪悪感さえも持った。


何か作業をしてると、

視線を感じて、母を見ると

こっちを見つめている。


部屋から出ていくまで、ジーと追視をする。


母は、わたしの名前を呼ばなくなって、

私を娘だとわからなくなって、

数年経つ。


わかっていて、言葉だけ発さないのかは、

わからないが。 


無理やり言わせて、

2回ほど、オウム返しのように話したのは

忘れることはないだろう。


誰かいつも変わらない人がそばにいると、

母は、わかっていた。


変わらない誰か


変わらない誰かが、

愛してくれていること

想いが伴うことで、

愛されてると通じるのだろう。


高齢者でもそうならば、

子どもなら尚更だろう。


いつも変わらない誰かが、

起きると同じ顔があり

床につく時も、変わらない誰かがいて

ずっと、見ていてくれる。


愛着形成


そんな一対一の関わりは、

年齢なく大切であり、

どんな時も変わらずに見ているよ

愛してるよと

思われることで

人はいくつになっても

変わっていけるのだろうと

と思った。


認知症はわからないだろうと

思われがちだが

そんなことはないのだ。


そう思うと、尚更

社会的養護下の子どものために、

働くことは意義深く、


仕事に復帰したら

余計に頑張ろうと思った、

瞬間だった。