《東ノ丸から見る巽櫓と坤櫓》

前編からの続き...

三ノ丸から 巽(たつみ)櫓を見上げれば...高石垣が累々で いかにも要塞の風格。

東西対の鯱がしっかり見える。

そこから二ノ丸の大ノ門に向かって石段をジグザグ行けば...

櫓下の南帯曲輪へ入る道を見つけて とことこ。

国重文の三重櫓 二棟がフレームに収まったのでカシャ。

下から失礼...石落としは軒付け根に有るような 無いような。

石垣の角はしっかり算木積みでシャープな反り。

でも足元の草むらには大きなイシガメの死骸が ゴロリで...腐臭モワッ。

坤(ひつじさる)櫓には 軒唐破風(のきからはふ)が多いね。

こちらの鯱は 南北の対。

稲荷曲輪に曲がり込めば...右奥に明石海峡大橋も見えてナイス。

横矢掛けの出っ張った天守台を下から。

これが本丸虎口かな?...

てか...明石城跡には 城跡遺構各部分の説明板が ほとんど無い 不思議。

国の指定史跡となれば 説明板を設置をするは 文化庁予算で兵庫県が行うのかは知らんけど...あまりにも不親切やん。

試しにウォーキングに来ていたご年配親子に聞いてみたら...明石市民やけど 天守台は知らんとな...オヨヨ。

はなから天守閣計画は無かったらしいけれど 天守台はガッチリ。


上れば... 柵の一部は壊れ...ススキがせり出し...整備不良が残念。

そこからは 坤櫓の軒の唐破風に千鳥破風が被さる...重ね破風が よ~見える。

雅に見えるのは 鯱下の入母屋破風が 赤い木連れ格子(きづれこうし)で化粧されとるからかも。さすが伏見城からの移築。

そして狭間がある土塀に沿って展望デッキへ向かば

終わりかけのビヨウヤナギ

そこからは三ノ丸の向こうに明石駅がデーン。

明石海峡大橋もね。

本丸や二ノ丸には ヤマモモの古木が多かったのは何故やろね?

もう今頃は食べごろかもなあ。

壬申の乱の時 大海人皇子が関ケ原で兵士に配ったと伝わるヤマモモ。

本丸の北東角には艮(うしとら)櫓の跡。

北が子(ね)である知識があれば 櫓の名前はすぐわかる。

二ノ丸と土橋でつながる本丸の東門跡と巽櫓。

番の門とも呼ばれとったのかな?

土橋上からカシャ

二ノ丸から 重なる櫓を眺める。

冒頭写真のように じさまが高石垣の上のベンチに座り読書とは...あこがれの日常。

 

で、東ノ丸から天の門を抜け...市立文化博物館に入り...明石原人やら

アカシゾウの骨格標本にふむふむ。

源氏物語の明石の君の話とか....意外と明石ネタは多いなあと軽い驚き。

市立博物館の受付に明石城跡には遺構説明板ないのは何故かと問えば...

明石公園は県の管理なんでわかりません...やと。

とすると、兵庫県と国の文化庁との管理区分が曖昧やから?...

モヤモヤしながら薬研堀を見て 東ノ丸に戻り

真の門から北へ。

北ノ丸には行かず 途中 帯曲輪へ左折してトコトコ。

桜池(桜堀)は もうすぐ モリアオガエルの卵が枝にぶら下がるような気配。

東の丸・二ノ丸の北側石垣は 元のまま?

震災後の積み直しのように見えたY。

右の本丸、左の二ノ丸とをつなぐ土橋は 石垣でその向こうに巽櫓。

お馴染みのジオラマで ルート確認をどうぞ。

桜池上の土橋に立てば...黄菖蒲の花は終わり...

ぐるり回って池越しに本丸の高石垣をカシャ。

稲荷曲輪下の石垣

稲荷曲輪 南西角(右)には 正の櫓台跡。

ここに月が上れば 絵になるかも。

連れ合いの同窓会の時間だけという制約の中でも 結構歩くコトができたY。

インバウンドで湧く日本にも、外人さんがあまり来ない城跡があったもんや。

まあ、遺構説明板がほぼ無いんではね...しゃ~ないかっ。

でも、エエもん見せてもらいましたよ~。

譜代大名の一覧も調べた際、ジジイの苗字もみつけてにんまりしたし。

 

帰りしな『爺たちはどう生きるか』と 中堀のアオサギから 問われた感じ。

《完》