先週土曜には某ボランティア団体の総会があり、久しぶりに壇上で挨拶をするなんて’はずい’コトをしてしまった。

でも 来賓の自治体重鎮の皆さんと歓談できたんで 良しとしましょう。

そこでは日本在住30年のカナダ人が、カナダという国と文化についてわかり易い英語でプレゼンしてくれて 参加者も大満足。

その後に行った地元の人気焼肉店では 飛騨牛希少部位盛合わせ焼肉に感激してもらえたのも...嬉しかったなあ。 

 

さて、昨日は晴天の下 畑仕事をしたり読書したりの淡々としたGW幕開け。

忘れんうちに 赤穂とセットで行った龍野について 記録しとこ。

コロナ禍直前に 龍野の城下町の一部が 国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されたんでね、

4月19日 揖保川沿いの川原町市営駐車場にレンタカーを駐めて 重伝建地区の南端から北上トコトコ。

いきなり’らしい’家並に心ウキウキ。

お城のような構えの圓光寺は龍野御坊と呼ばれており

あの宮本武蔵が滞在して 境内の道場で修行と 弟子たちへの指南をしたげな。

醤油醸造蔵の白壁と龍野古城跡 鶏籠山(けいろうざん)の新緑とのコラボがエエね~。

このお寺さんの左隣には 赤とんぼ交番..なんてのが あって いかにも龍野らしい。

写真撮り忘れたけど

こういう商家の佇まいに...しびれます。

龍野の醤油醸造の始まりは天正15年(1587年)と言われ

その代表格である ヒガシマル醤油株式会社の

うすくち龍野醤油資料館

建物は 国登録有形文化財やし...なんと入場料が 一人10円で、料金からして いきなりのタイムスリップです。

こういう産業遺産もジジイの嗜好なんよね~。

昔のボイラーが 機関車のような顔をしてござる。

原料処理場の桶が back to the 昭和30年代...って感じ。

昔の品質検査機器も面白いものばかり。

宣伝ポスターも 滅茶レトロや~ん。

食料品小売店をやっていたジジイの実家にも 小ぶりのがあったようなかすかな記憶。

このモデルさん...もしかして 往年の俳優  寿美花代(すみはなよ)さんの若い頃??

麴室や

圧搾機に フムフム...

’うすくち’醤油は 大豆を炊き 小麦を炒り 米は蒸して甘酒にして 

赤穂の塩と揖保川の良質な水と 合わせて醸造する。

つまり米も使うコトが特徴なのだと今更のように知る喜び。

龍野の歴史紹介ビデオなども観れて...これで10円。

申し訳ないので うすくち醤油と 醤油ようかん を買ってまったがや~。

うちの実家の店では ヒガシマルの粉末うどんだしを売っとったし、特別な思い入れがあるんで。

ジジイのガキの頃の感覚では... 

濃尾平野の西縁の当地は桑名のヤマモリが一番で 名古屋のイチビキが二番、次に 龍野のヒガシマル...って感じ。

キッコーマンとかヤマサの勢力が まだ及んでなかったもんね~。

そんな街を連れ合いと お散歩テクテク。

和菓子の觜崎屋(はしさきや)や

醤油まんじゅうの吾妻堂を覗いては よだれを垂らす。

こういう家並に 心がキューンとなるのは 年寄りの証?

平日の午前には 子供たちの遊ぶ声がない路地

今や人通りと言えば...わずかばかりの観光客だけでしたが

ちょいと脇道に入れば...醤油屋さんがあって...キュンキュンしどおし。

堀跡と蔵と寺。

このような街は やっぱり日本の宝やね~。

醤油の郷 大正ロマン館

この左隣には クラテラスたつの...てなお洒落なレストラン併設の産物店。

もう買いまくりのジジババやったわ。

そして 三木露風の生家へ。

ご存知 童謡 赤とんぼ の作詞をした詩人にして童謡作家・歌人・随筆家です。

本名は 三木操(みきみさお)1889-1964年。

おっ、ジジイの祖母の一回り年上の御仁やん。

国木田独歩の曾祖母が三木家出身という縁から独歩詩集も刊行したげな。

5歳の時にお父さんの不祥事か浮気かはわからんけど お母さんが 次男を連れて家を出たとな。 

長男の露風は祖父の元で育てられ...早熟の天才と言われるほどに。

なかでも 壁にかかっていた「桜の下」の詩が せつないね~。

多感な子供の頃の経験が 創作活動のエネルギーにもなったんやろと思える。

ちょいと歩けば 明治時代から続く書店の伏見屋さん

露風もガキの頃から通ったようですよ。

人の営みがそこかしこで感じられる城下町...

そして播磨の小京都と言われる龍野。

 

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