コロナ禍が明けて早一年。

巷では相も変わらずマスク人が闊歩するご時世ですが、本日午前 観光協会の主催で 菊水泉の若水取り行事がありましたよ。

観光ボランティアガイドにも声がかかり...生憎の悪天候の中 傘さして養老神社境内へスタスタ。

そこにあるのは飲浴すると若返るという伝説の名水が湧く菊水泉。

見上げれば養老の山の上半分にまた雪が積もり、神事直前には雷鳴も轟き...雨が降ったり止んだりで、春のお彼岸なのに...さっぶ~。

おかげで 雅楽生演奏は中止となって... ちと残念。

この行事がスタートしたのは1977年。

1982年までは 毎年2月初旬の立春にやっとったげな。

それと比べれば今は春分の日なので楽やと思わんとね~。

1988年からは孝子(こうし) 源丞内(げんじょうない)に扮した二人が若水を汲むようになったんやと。

ジジイも初参加だったので...その進行にフムフム。

主催者や来賓の挨拶があって...粛々。

こちらの養老版 ピンクレディが玉串奉奠(たまぐしほうてん)するのに合わせて 我々も二礼二拍手一礼。

それにしても 腰に白い帯を巻いたりすれば...もう...三色団子カラーやん。

そしてようやく 菊水泉へ水汲みに入ったと思えば...ハイポーズ。

NHKや中日新聞社からも取材クルーが来とったし...あらら。

伝承では 若返りの水をみつけたのは 木こりの青年やったはずやけどな~。

なんで 女性がやってござるの?

その役が地元の銀行員さんなのは...何故~??

まあ...突っこみどころ満載の昭和のノリ感。

せめて男女一人ずつにしてあげても良かろうものを...

でも素晴らしい笑顔でしたよ。

用意されたヒョウタンに 無事水を汲み終えて...チャンチャン。

奈良の元正天皇御陵に献水されますよ。

おつかれさま~。

続日本紀の養老元年12月22日の条に「醴酒を造る為、立春の暁に水を汲んで差し上げるように命じた」とあるコトに基づいた神事ですからね。

式典が終われば 参加者には紅白の餅が配られ...

半世紀以上も大昔の卒業式にもらった紅白まんじゅうを思い出す。

昨日は孫娘の小学校卒業式やったからかな。

みんな制服みたいな正装で...オヨヨ。 

「涙でた~?」とSMSで聞いたら...「なみだでてない!」やて。

当世小学生気質なんかもね~。

とにかく おめでとう!

話は変わり

先週土曜午前にはこんなにスッキリ晴れていた関ケ原も

今日の午後は雪もちらつき...古戦場記念館展望室からは 1km先の三成陣跡がかろうじて見えるくらい。

そんな中、歴史オタクのような小学生からの質問攻めには 往生こいたがや。

淀君の息子 秀頼の本当の父親は 石田三成・片桐且元・大野治長のうちの誰ですか?...てな質問も出たりして絶句。

今時の小学生...侮るコト無かれ...です。

昨日の中日新聞岐阜県版には こんな記事も載り

館内は マニアの熱気でムンムン。

動く合戦図屏風デジタルアートは 細かい戦闘シーンが動くので面白いですよ。

必見です。

家に帰れば 雨後の土筆

ちゃっちゃっと採って...

さっさと料理して 今晩のおかずにしましたとさ。