《桑名藩三代藩主 松平定勝公の墓》

先日の立春、『於大の方の血を引くものたち~徳川家康と久松松平家~』と題したセミナーが関ケ原古戦場記念館であり...それ以来 好奇心うずうず。

ようやく日が差した昨日 さっそく現地へGo!

それは家康の母 於大の方が 松平弘忠と離縁して 再嫁した久松(松平)俊勝(長家)との間にできた子の一人。

家康の異父弟の定勝(さだかつ)です。

下総小南城主→遠州掛川城主→伏見城代を経て、大坂の陣~家康死去の後の1617年に桑名へ入封したんやね。

関ケ原合戦の後 1601年 桑名に入った本多忠勝が近世城郭を築城開始して、

本多家が姫路に移った後も 定勝が壮大な城郭の整備を続けたげな。

二之丸取り付き部から内堀越しに本丸方面(上図赤矢印)をカシャ。

明治の廃城令でかなり破壊された桑名城跡は来る度に嘆息してしまいますけど。

その前に 今回は桑名藩四代藩主となった定行が 父 定勝の菩提を弔うために創建した照源寺へ…

車で行ったけど、こんなに駅近やったとはね~。

築400年の風格かな。

松の大木が繁る境内は明るくて気持ち良いし、鐘楼も格好エエ~。

夫婦松にも ホ~ッ。

そして松平家の葵紋と久松家の星梅鉢紋が並ぶ本堂前の香炉にも ホ~ッ。

家康は久松家の異父弟たちに 松平姓を名乗らせましたからね。

浄土宗のお寺さんなんで もちろんジジイは読経を少々。

そして境内にある松平定綱(5代藩主)及び 一統之墓所へ向かい、

冒頭写真の定勝の墓から順に...お参り。

定行(松平隠岐守)は伊予松山へ移封となったのでここに墓はなし。

一方その弟 定綱の系統は 松平越中守家と言うらしく 墓も一番デカい。

二人が殉死されて両サイドにもデンデン。

松平越中守家は桑名から越後高田、そして白河へ移封となり

寛政の改革で有名な老中 松平定信が出とるんやね。

その子 定永の代に また桑名に移封となる巡り合わせのグルグル。

なので 定信の遺髪がここに埋葬。

 江戸の霊厳寺以外にも墓があったとは 恐れ入り谷の鬼子母神。

定信の子 桑名藩十五代藩主の定永のお墓もここに。

家康に仕えた服部半蔵正成の子 正就は 不始末で改易された後 定勝が掛川城主だった時に そこで蟄居しとったげな。

そして大阪夏の陣で行方不明となり...墓(右)がここに建てられたとか。

てな訳で ウロウロするだけで いろんな歴史にハマるミラクル墓所でした。

桑名博物館では

『松平定信と源氏物語』の新春企画展が行われていたので じっくりフムフム。

源氏物語などを細かな字で定信が写本して作った 超ミニサイズの所謂 豆本の数々。

それも65歳前後で老眼鏡も無い時代に...

ただただその情熱と視力に驚いたY。

写真撮影が許されとるのは これくらいでしたけどね。

で、腹減った~と 博物館から出れば...

自家製麺の らぁめん登里勝(とりかつ)さんが道路向かい。

お~...ここか~...で、噂の はまぐり塩らぁ麺を いただき~っ。

やっぱ桑名に来たら でかい蛤に決まっとるがや!!

美味すぎるし...値段がお高いんで 汁まで全部飲み干しましたよ。

《桑名ネタは続く》