《上洛殿》
名古屋城ネタのラストは今や外人さんもこぞって見に来る本丸御殿。
戦前は天守閣と共に国宝第一号の栄誉に輝いた近世城郭御殿の最高傑作やでね。
2009年から10年の歳月をかけて総工費約150億円かけて忠実に復元された新名所。
確か玄関と表書院だけが部分公開された2013年に連れ合いと来て以来なんで
2015年6月からスタートした拙ブログには初登場です。
部分公開の時は床がビニールシート張りでこの玄関から入ったようなかすかな記憶。
今は中之口部屋横が出入り口で 下足して下ザック...しずしず。
玄関一之間(18畳)も
ニ之間(28畳)も竹林豹虎図で ヒョウとトラが游ぶ世界...
畳は 中京間ではなく京間畳特大版らしいので
京畳1枚が1.82㎡だとして 二部屋だけで約84㎡ちょい上。
客人が対面を待つだけのスペースで1家族住めるくらいやん!
次に表書院に向かえば...最初が三之間。
その襖絵に描かれとるのは ジャコウネコやげな。
玄関から ず~っとネコ科のCats park状態。
正式な謁見の間
一之間から上段の間を見れば...雅な花鳥の襖に圧倒されますね~。
創建時、松の前に着座したのが初代藩主 徳川義直(家康の九男)。
どんなんやったかな~...なんて想像してまうがや。
右側奥には 帳台構(ちょうだいがまえ)
緋色の房がかかっとる襖が左右にスライドできるらしく
納戸の機能らしいけれど、何が収納されとったんやろね~。
そして廊下の奥にある対面所へ。
身内だけが立ち入られるプライベートゾーンは 風俗図で飾られて...ほっこり。
ここにも帳台構のような設えで手を抜いてませんね~。
そこから上洛殿へと続く鷺之廊下は また金箔の世界となり
これまた雅にも梅の古木とサギ。
そして上洛殿へ足を踏み入れば...いきなり花鳥の欄間(らんま)まるけ。
さすが三代将軍 家光の上洛にあわせて増築された建物ですね。
豪華絢爛キンキラキン
障壁画の 帝鑑図や雪中竹林鳥図は 狩野派の巨匠 探幽が描いたモノのレプリカ。
空襲前に移された沢山の襖絵などの本物は重文指定され西の丸御蔵城宝館にあるらしいんで 今度はじっくり観に行かんとね。
天井板絵まで細密で ...ただただ すんごい。
江戸時代の武家風書院造の様式美を堪能させてもらえて
...どえりゃ~お値打ちやがね。
まるで Birds park...って感じ。
上洛殿の釘隠しは 子沢山の象徴... ブドウと リス。
さすがに栗とリスにはせんわな~。
表書院はこれやったかな?
廊下におられる案内員の方に 何がデザインされとるのか聞いたけれど
皆 よ~わからんげな。
対面所はこれ?...
部屋ごとに意匠が凝り過ぎて...記憶できなんだわ。
誰かが解説書などを作って 案内員さんの研修に使うとエエかもね~。
木造復元天守閣建築の為の募金箱ですら
朱塗りに金細工とは...尾張人気質が現れとるんかも。
外から眺めれば...
隣国からの観光客が 写真撮りまくりで
なかなか退いてくれんので 仕方なく カシャ。
家光が一回泊まるだけで 小天守の前に上洛殿が増築されて...
お風呂も入らないかんので 湯殿書院も造られて...
ガイドさん引率による公開中。
湯殿書院の出入口前には 日英中韓の四ヵ国語を自在にあやつるおっさんガイドさんがテキパキ。
「すごいですね~」と声をかければ
「定型文だけですので大したこと無いです」とご謙遜。
ただただ脱帽です。
でも 館内はおばちゃんガイドさんで、「日本語しかできませんよ~」とな。
復元された...家光が一回だけ入った蒸し風呂は檜の白木のまま。
そして廊下をいけば 清洲城にあった家康の宿舎が移設されたと伝わる黒木書院。
それも復元されて...ふむふむ。
ここだけは檜より黒い杉材で造られとるので”黒木”やげな。
家光の寝所として使われたそうで...
一見 簡素でコンパクト設えに...ストレスフリー。
やっぱ寝る時ぐらいはね~公私を分けて落ち着きたいわな~。
でもじっくり見ると 襖の取っ手も...黒漆に金。
釘隠しも
襖絵も...高価なんやろね。
枝ぶりと葉と花や蕾の形状からノウゼンカズラですか?とガイドさんに問えば...
...薔薇やと。
以上...何のオチもありませんが、
建物が古色蒼然となる頃にまた訪れたいな~と思わせる。
自分の20年後は ほぼあの世。
でも、総ヒノキ本丸御殿の20年後は...そう変わらんのかもな~。