松が明ける日は だいたい関東では正月七日、関西では十五日やげな。

その松明けは 松の内が過ぎて数日間のこと。

岡山県の備中は...養老と同じく関西文化圏周辺部やろから1月8日は松の内かな。

夜半の冷え込みで薄っすら雪化粧した備中高梁駅に降り立つ。

福山市からの帰りに...ちょちょちょい。

駅ビルを出て右手に歩けば...Oh!天守が見える。

でも電線が~....美観法令がほしいわ。

目指す臥牛山(がぎゅうさん)小松山の標高は430m。

駅前が標高約66m。

登城の比高が 364mなら 写真撮りながらでも90分以内で登れるなあ...てな感じで 朝7:45からトコトコ。

想定外の降雪。

で 軽アイゼンとストックの持参もなしとはね。

心配しながら登城口まで来れば 斜面の樹々の下は快適な落ち葉道でラッキー。

前夜グビグビした芋焼酎がスッキリ抜けて...気分はシャッキリ。

汗が流れ出す頃に あの忠臣蔵で有名な大石内蔵助が腰掛けた石。

下太鼓の丸の北側が尾根上の鞍部で 鞴(ふいご)峠。

ここまでは城見橋Pから登城バスがあるようですが、その運行開始時間前の静けさ。

更にスタスタ上がっていけば...太鼓叩いて合図を中継する中太鼓の丸。

前後離れて山登りして来るのは 皆 単独の青年かおっさんばかり。

...それが この城の特筆なのかも。

櫓跡からは城下町が眼下に見える。

更にタッタと行けば

圧巻の大手門跡が現れ…

芸術的な高石垣の段々に息をのむ。

元からある自然の岩盤と人工の石組みの調和が...萌え~。

向かいの三の平櫓東土塀は国の重文で...臨場感を盛り上げる。

思わずスリスリ...

そこから振り返ると 美濃国 岩村城の高石垣にも似て...ホ~ッ。

三の丸

黒門跡

自然石を使った城内最古の石垣 二の丸下

二の丸から本丸を望む

大修理を終えた現存天守と それを彩る 復元の五の平櫓(右)と六の平櫓(左)。

沿革を読めば興味深いモノばかり。

信長と手を結んだ城主 三村元親は 毛利宇喜多連合軍との「備中兵乱」で激戦の末 滅亡...そんな戦国時代に この臥牛山は要塞化していったんやねえ。

関ヶ原合戦後に 家康が送り込んだのは あの小堀正次・政一(遠州)で、その後も 紆余曲折…。

元禄時代には水谷家がお家断絶。

代わりに赤穂の浅野家が城主となるも 自らも数年後には殿中での刃傷沙汰でお家断絶の憂き目とは…ああ無情。

今や猫のさんじゅうろーの方が 石像になるほど有名とはね。

本丸開門9時ちょい過ぎに入れば

入場料を払ったと同時に生ねこ城主 さんじゅうろーのお散歩タイム。

猫と暮らすジジイなんで 警戒されんのやろかね。

なでなでさせてもらえて、にっこりやニャン。

耳折れで毛色がもうちょいミルクティーならまるでうちのイブキやん。

それなら そっくりとは言えんけど。

では 国の重文の天守へ...いざ。

囲炉裏がある一階は 各種パネル展示で フムフム。

中二階の装束の間からは 重文の二重櫓が真正面。

二階...手斧や槍鉋の跡も よ~わかってナイス。

唐破風屋根越しに城下が見える山上は寒風スースーで どえれ~冷えてヒェ~ッ。

天守の外を反時計周りすれば

こんな感じ。

次に二の丸から後曲輪に向かっても

映えるアングルがいっぱい。

搦手門跡からもカシャ

先ほど天守から見た二重櫓を こちらから見れば...

巨石のゴツゴツがたまらん。

そこから大松山城方面へ行こうと思えど...雪の急坂やん。

装備不足では...君子危うきに近寄らず...で、撤退!

また...いつか無雪期にねっ。


美濃岩村城・大和高取城...そして今回の備中松山城。

これで 日本三大山城の訪城を全て終え 満足満足。

 

《松山の 渓を埋むる あさ霧に わが立つ城の 四方しろくなる...与謝野鉄幹》

自分の足で登った山城は格別やね~。

冬晴れの下 朝霧なくとも...期待通りの絶景に★三つ!

 

《城下町編へ続く》