さらば我が生家 | モリちゃんタヌキの大福帳

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気の優しいぽんぽこ還暦+αタヌキです
100均と激安スーパー巡礼が最近の主な趣味です(笑)
安い!美味い!お腹いっぱい!の料理を中心に時には笑い、時にはボヤキもつぶやきます

お彼岸に両親のお墓参りに行ってきました。

祖父や両親の眠るお墓は隣の市にあります。

家から車で20分くらいで行けます。


そのお墓から道路をはさんですぐの所にオラの生家がありました。

両親が結婚してオラが生まれてここに住み始めました。

生まれてから小学校5年生までそこで育ちました。

四畳半・四畳半・台所三畳・WC付・風呂なし借家でした。(笑)

もともと祖母が所有する借家でした。(ちゃんと家賃は払ってましたよ(笑))


「ありました」過去形になってますが・・・

そうです、お墓参りに行った時に気づいたのですが母屋(祖父母の家)とともに更地になってました。

祖母もすでに4年前に鬼籍に入り、オラの叔母が引き継いで経営していたのですが

やはりこのご時世、老朽化も著しくてなかなか入居も埋まらない状態。

きっと叔母も祖母の形見とはいえ苦渋の決断だったと思います。


生まれてから中学校まで隣の市で育ち、今の家に越してきました。


生家には、色々な思い出があります。

まだ幼稚園に上がる前に家中の壁クレヨンで落書きしてしまったこと。

(引越する前年まで残ってました。(;^ω^A))


小学校に入学したときに叔母に撮ってもらったランドセルを背負った写真。


ウチの家族の一員だった「ゴロ―」♂

ゴロ―

彼がウチに初めてやってきたのもこの生家でした。


共同風呂だったので、お風呂炊き(当時は石炭)は各戸当番制で両親について手伝ったり、年末の大掃除の時の煙突掃除で父が煤落ししていてオラが焚き口の前に遊んでいて全身煤だらけになってしまったことも。

秋になると風呂の裏手イにあったイチジクの実が熟すと、父がイチジクのジャムを作ってくれました。


辛いこともうれしいこともこの生家にはいろいろと詰まってます。

「形あるものはいつかは滅する」諸行無常の絶対的な法則ですが・・・

やはり寂しいとか「あ~、無くなっちゃたんだ」という空虚感が交錯していますしゅん


でも、その生家を起点に今は亡き両親が苦労して頑張ってくれたおかげで今のモリちゃん家があると思います。


祖父母に、そして両親に感謝。


閑話休題


お墓参りの翌日、釣りに行ってきました。

魚は釣れませんでしたが・・・

雲間から朝日が差し込む景色が少し感動的だったので(笑)

泉大津