こんばんは、森野たかまさです。


滋賀県大津市で痛ましいイジメがありました。

本当に辛い、悲しい事件です。

今回の一件は、イジメがあった上に、隠蔽工作と思わしき行動を、学校や教育委員会が行っている疑いがあり、さらにやり切れない気持ちにさせられます。




実は私もイジメられた経験があります。

だから、被害者の子は男としてのプライドがあって、相談できなかったのかなぁなんて、自分の過去を思い出しながら想像しました。


しかし、しかし敢えて言うならば、イジメを仮に早期発見したとして、すぐに大人が介入し、イジメを辞めさせるというのは、私は違うと思っています。


世の中は程度の差こそあれ、イジメだらけ。

大人も、いつ村八分になるかビクビクしている訳です。

そんな世の中の厳しさの縮図を直に味わっている最中なのに、大人の力でねじ伏せられてしまうのは、その子の社会認識をねじ曲げてしまう気がするのです。




なぜ、そんなキツイことを言うか。

何度も言いますが、私もイジメられたんです。

しかし、何故イジメられたか必死で考えて、それこそイジメる側の気持ちも考えて、考えて、イジメられない為の処世術、ブレずに堂々とする姿勢や、そのコミュニティからさっさと逃げてしまう術を得たんです。

大人が安易にイジメを握りつぶすと、そこからどう生きるかという、大げさに言えば生命力を鍛えるチャンスを失うのではないかと思うのです。

実は大人の世界で、芯がない人間というのは、イジメられた経験がない人間が多いのではないかと思うくらいです。




しかし、だったら自殺してもいいのか?

勿論、私はそんなこと思っていません。

大人の会社違って子供にとっての学校はコミュニティのほとんどを占めてしまいます。

大人は最悪でも会社を辞めるという選択肢を持っていますが、子供は辞めて転校するなんて想像ができていません。


だから、これはもうイジメだと判断したら、大人がそれと分からぬよう逃がすのです。

最初は勇気づけたりなどして、それでめ駄目なら転校なり一時休暇なり、知恵と制度でそれとなく誘導してあげるのです。



そのためには、もっと多くの大人の目が必要です。

私は担任制度を廃止して、一つのクラスに何人もの先生を配置し、また保護者もいつでも気軽に授業を見学できる形にすべきだと思います。

学校を聖域、先生を聖職にして、アンタッチャブルにしてはいけません。

先生の負担軽減にもなるはずです。




道徳教育で、イジメがない世の中を目指すのは大賛成だけれど、今そこにあるイジメを、まずどうにかしなければいけないでしょう。


だからといって、今回の大津市の件のように、隠蔽体質だけをあげつらうのも根本的な解決になっていません。

仕組み自体がマズイんです。

抜本的な教育改革がなければ、いつまでも堂々巡りです。





今回の件、自分なりの思いが強すぎて、取り留めない文章になりました。

またいずれ、もっと考えをまとめて書きたいと思います。




iPhoneからの投稿