10月24日、委員会の準備を終えてJTSUE議員懇談会「国立ハンセン病資料館」へ。

美しい森に囲まれた資料館は、広大な多摩全生園に位置し、今も昔も約100名の方が居住されています。

国立との名前ですが、患者さん自身が、自分たちの生きた証を残したい!と云う強い思いで、
当事者と市民により、資料館が作られたと伺いました。

国の間違った政策から、「らい予防法」により、差別と強制隔離が行われ、ハンセン病の患者さんが充分な治療も受けられずに、
名前も奪われ、家族も奪われ、子どもを持つ事も許されず、死ぬまで社会と分断をされた、
壮絶な人権剥奪の歴史。

同時に、療養所の中でも、絵や文章、陶芸などに打ち込み、生きる証を残したいと、わずかな希望を胸に生きた人々の姿。

1996年にらい予防法が廃止されるまで、長い闘争の歴史に、人間はこんなにも残酷なことが出来るのか。と愕然とすると同時に、
コロナ差別で、自ら命を絶った事件や、滝山病院での精神疾患患者への虐待死など、今も痛ましい事件は後を経ちません。

多摩全生園の美しい「じんけんの森」を歩きながら、差別と偏見の無い、誰もが人権を尊重され、
一人ひとりが自分らしく生きられる社会の実現を心より願います。

「らい予防法闘争」七〇年 ―強制隔離を選択した国と社会 特別展を開催中でした。

『いのちとこころの人権の森宣言』

 かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
 
 ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
 
 この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
 
 いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
 
 私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。
 
平成21年9月28日
東京都 東村山市