3.11から10年終わりのない原子力被害。
風化させてはならない未来への伝言・豊田直巳写真展】

昨日午後は、「終わりのない原子力災害―3.11東日本大震災から10年」上映とミニトークと
豊田直巳写真展 「未来への伝言~消される景色の中の消えない記憶~」へ。

福島は、私の祖母が生まれ、美しい自然と、美味しい果物がたくさんあり、中学校時代には林間学校で蕎麦打ち体験をしました。

原発事故は、私が幼少期強く政治に関心を持つきっかけでした。
1986年チェルノブイリ原発事故の衝撃。次々と報告される子ども達の健康被害に、小学校時代に私が書いていた学校新聞- 今の文明どうですか【文明堂新聞】に、「小学校6年生でも原発の危険性がわかるのに、なぜ大人は止めないのか」と
小学校6年生の私が、問いかける。

「終わりのない原子力災害―3.11東日本大震災から10年」上映とミニトーク

原発のコスト 】

建設費用よりも高い安全対策、安全対策に2兆円とも言われる。

「CO2を出さないエコでクリーンで、発電コストが安い」は、全て覆されたのだ。今や、太陽光や風力発電よりも発電コストが高いのは明確。

ようは、政府のやる気次第。原子力村と言われる巨大利権から、子ども達の未来に責任ある選択が、求められていると考えます。

更に、事故を起こした際の処理費用は膨大で
福島第一原発の処理費用は、当初11兆円と言われていたのが、
民間の試算では、81兆円とも言われ、どんどん膨れ上がっています。

汚染者負担原則があり、今までどんな企業も、汚染者が払ってきたにもかかわらず、
原発事故の賠償において、電力会社は一切の賠償を負っていません。
事故から10年。未だに、3万人以上の方が避難生活を続け、ふるさとを奪われている状況に、

映像で現地の方の言葉に、涙が込み上げました。

ふくしまミエルカプロジェクト】

地震大国の日本で、安全な原発などあり得ない。
崩壊した安全神話。
先日からスタートした聖火リレーのスタートでしたが、そこには、本当の福島の姿は映し出されていませんでした。

東京に暮らす私たちの電力を担ってくれていた福島
だからこそ、復興までの長い道のりを、決して風化させずに、共に歩んでいく事。

東京都から日本のエネルギー政策を変えていきたい❗️

東京は、2度と原発被害を繰り返さぬために
【ゼロエミッション東京戦略】の中で、
「再生可能エネルギーを基軸とした持続可能な社会を目指す」
事を明記しました。

松本光監督が、現地に足を運び、マスコミでは中々伝えられることの無い
福島の今の姿、そこに暮らす人々の思いを丁寧に映像におさめ、なまの声に胸が詰まりました。

豊田直巳写真展 「未来への伝言~消される景色の中の消えない記憶~」は、4月28日まで、聖心グローバルプラザで開催中です。


以下、監督とのミニトークより
隠される原発事故】
飯館村では、
「村内の野生の動植物を食べないで下さい」

『放射能副読本』では、
放射線の発癌リスクと野菜不足の比較が行われている。
放射線の恐怖の論点をすり替えてしまう怖さ。
チェルノブイリでは、学校で汚染地図が貼ってあり
食べ物
「100mSv以下だったら、野菜不足と変わらない」と教える日本は無責任

語られない事故の責任】

「胸を締め付けられる現地の方の言葉」

「復興」という言葉が一人歩きし、若者たちは帰ってこない。

コミュニティが破壊され、人が人として生きられる環境を破壊されてしまった。

1番聞きたくない言葉が、復興・絆

元に戻ってもいない。元に戻ることはないのに
復興 と言われる残酷さ。

日本は、早く福島の事を忘れさせられようとしている。
生産者と消費者・親子も食卓も分断する

伝えていない。伝わっていない。

再稼働なんてとんでもない

【原子力緊急事態宣言は、今も解除されていない】

ふるさとに帰ることが出来ない方も
未だに何万人もいる中で、

原発再稼働なんてありえない。

被害者の声に耳を傾けて、どの様な選択をせねばならないのか。
私たち一人ひとりに問われている。

FoE 松本光監督

環境問題に取り組んでいる、国際環境NGO
Friends of the Earth

気候変動・福島支援と脱原発・
開発金融と環境・森林

高校の卒業式に3.11を経験した。

・アジア太平洋資料センター(PARC)でインターン
「3.11の原発事故を巡るメディアの報道の在り方」

映画で紹介された資料は、FoEの「見える化」と云うサイトでも見ることができる。

コロナで県境を跨いではいけないと云われる中
中々、現地での行動が難しい

【福島の現状が、見えない化されている】

放射線の危険性
福島にいても、中々原発事故については、語られなくなっている。

菅野さん(二本松市農家民宿遊雲の里)
有機農家で30年以上働いてきた。民宿も経営されていた。
東京と比べて、0.3マイクロシーベルト
年間0.23の基準よりも、未だに高い状況

作っている農産物からは、線量は出ていないが、
米も魚も、未だに安く買い叩かれている。

収入は、3割4割減ってしまった。

事故後に流通の流れが変わってしまった。

板倉さん(冨岡在住)
2017年に解除して戻ってきた。
冨岡の有名な桜並木 真新しい建物も立っているが
ほとんど誰も住んでいないまち。
作業員の寮だったり、実際の居住率は10%

6号線のメインの道路は、未だにフェンスで覆われていて降りることが出来ない。

福島ぽかぽかプロジェクト
子ども達の保養

10年前の、あの3月11日から、何も変わっていない。
3月12日から、何も進んでいない。
福島に残った家族もある。子どもが体調が悪くなると、自分を責めざるをえない。

精神的にも、経済的にも追い詰められている。

このコロナ禍で、見えない不安に日本全体が覆われているが、
福島の人々は、その見えない不安に10年間

自然災害だけではない、放射能汚染の中で

保養プログラム

子ども達の保養と共に、お母さん達の保養、心のケア、一緒に話を聞いて共感することが大事。

児童相談所の虐待件数が、3.7 → 9.7%と全国で1番多い

20歳未満の子どもの自殺が、全国で一位の現状


◯2011年からずっと関心を持って、南相馬に住んで支援
どんどん水に流してしまう。記憶もデータも
国のどこかで そう云う圧力
どんどんとっておいてほしい