東日本大震災から今日で10年。
あの日を忘れない
今もまだ2500名以上の方の行方がわかっておらず、お亡くなりになられた方のご冥福を祈り、
14時46分、予算委員会中に、知事と共に議場で黙祷を捧げました。
当時の津波の映像を目にすると胸が締め付けられ涙が込み上げます。

当日のブログを読み返す。
「東北地方太平洋沖地震 定例本会議最終日の長い長い一日」
その時は未だ、これ程に津波と原発事故の深刻さは分かっていませんでしたが、歴史的な大震災と都市の脆弱さ、原発安全神話の崩壊と、多くのものを突きつけられ、世界が一変してしまった一日。
決して忘れてはいけない一日。


震災から2年後の浪江町↑
当時のまま時の止まった街並みに、原発と人とは共存できない。2度と繰り返されてはならないと強く思いました。

大田区では、市民団体の皆さんを中心に被災地ボランティア調整センターが立ち上げられ、大田区が現地へのボランティアバスを出し、ボランティア参加者は約4000名、のべ1万2600名を超える区民が被災地ボランティアに参加し、
「縁プロジェクト」「くぅ〜の東北」


「石巻マルシェ@アキナイ山王亭(毎週土曜日開催中❗️)」さん

今も大田区と被災地を結んで支援活動がを続けて頂いています。

 行政と議会も、住民の命を守る最前線の都と自治体が連携しながら、防災計画の見直しや各団体との防災協定の在り方、ハザードマップと水防監視カメラの整備、医療救護所、避難所の課題、建築物の耐震不燃化、障がい者・高齢者といった要援護者名簿の作成と個別支援計画の策定も喫緊の課題です。
 そしてコロナ禍の避難所における感染防止対策等、課題解決に向けて取り組みを進めています。


実際に現地で支援活動に参加した区民の皆さんは、何よりも、大田区の防災地域力であり、
また、これまで行政や地域社会と稀薄だった方も、復興支援を通じて地域社会と繋がりが生まれたことは、希望の光です。


「まだ何も終わっていない」

進まぬ除染。ふるさとを奪われ、未だに東京で避難生活を送る方は、未だに3000人以上いらっしゃいます。
数年前にガイガーカウンターを付けて浪江町を訪れた際、未だに木々等は線量が高く、時間の止まってしまった街並みに、胸が締め付けられる思いでした。

まだまだ、長い復興への道のりを、
共に歩んで行くこと。

一人ひとりが、出来ることで、
被災地への想いを、繋いで行くこと。

今日、Yahoo検索で「3.11」と検索すると、一人当たり10円が復興支援として寄付されるそうです。

コロナ禍が落ち着いたら、ぜひまた現地へ伺って
東北の美味しいものを食べたり、美味しいお酒を飲んだり、東北に観光で足を運んだり、出来ることで、繋がって行けたらと思います。

3.11を決して 忘れない

亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、1日も早い復興を心より願っています。