【写真展「私はあいちゃんのランドセル」風化させてはならない福島原発事故の記録】
写真家 菊池和子さんの写真展「私はあいちゃんのランドセル@東蒲田音楽室」へ。
福島原発事故から9年と6ヶ月が過ぎて、もうすぐ10年。当時かのんはまだ生まれていない。
次の世代に伝えて行かなければならない、忘れてはならない福島原発事故の記録。

ふるさとを奪われた人々が残していった
「ふるさとで過ごすモノたち」の想いを、写真の中に込めた菊池和子さんの写真。


その瞬間を写真に収めるのみならず、
現地の人々の事故当時から、仮設住宅、避難解除ーそしてー現在。

とても丁寧に現地の人々の取材を重ねて、
現地の人々の想いに寄り添う姿は、写真家であると同時に、写真を通じたジャーナリストであると感じました。

「残されたモノたち」から伝わってくる
ふるさとを奪われ、故郷を離れた人々の故郷への想い。
それでも、誰もいない故郷へ戻ってきたおばあちゃんの故郷への想い。
とても切なく、深く胸に突きつけられました。

まだ何も終わっていない。
東京都の電力を生み出してくれていた福島原発の事を、東京に暮らす私たち一人一ひとりが、自身の事として捉えて、胸に刻まねばならない。

原発と人類は共存できない

幼少期、チェルノブイリ事故への強い衝撃を受けた事が、私が政治に関心を持ったきっかけの一つです。
「なぜ小学生でも原発の危険性が分かるのに、大人は止めないのだろう。」

いまだに再稼働に舵を切ろうとするならば、正気の沙汰ではない。

チェルノブイリ事故でやっと半減期。
福島の復興には、まだまだ多くの時間を要する。
決して忘れてはならない。

多くの人々のふるさとを奪い、森を、海を奪う原発事故。
「汚染水は完全にコントロール出来ている」と云う嘘で誘致された五輪はコロナ禍で延期されてしまった。

時間が止まったふるさとで過ごすモノたちは、
私達に多くの事を語りかける。

目を逸らさずに、今を生きる大人の責任として
次の世代に伝えて行く事。
そして、東京から、再生可能エネルギーを基軸とした持続可能な環境都市を築いて行かねばならない。

私も震災後、福島・東松島にも復興支援に伺わせて頂きましたが、コロナ禍で現地に伺うことが叶わない事もあります。
菊池さんとお話をさせて頂き、災害後の仮設住宅の在り方など、行政としての復興支援の在り方についても考えさせられました。
『フクシマ10年目の伝言』貴重な現地の写真と共に、胸に迫るお話をありがとうございました!



◯双葉町のアーチ「原子力郷土の豊かな未来」
◯あいちゃんのランドセル
避難所に行ったまま家に戻る事の出来ない持ち主のあいちゃんー
◯仮設住宅に暮らす子ども
◯ふるさとへ帰るカエル

◯体育館に置き去りにされたピアノ
◯農家が一生懸命育ててきた農地の黒い袋
◯避難地域に置き去りにされた大型犬は6000犬も死んだ
◯禁止区域避難解除で自宅に戻ってきても、
近隣住民は誰も戻ってこない。
◯神さまトンボと彼岸花
◯モニタリングポストー
◯仲間が恋しくなり、復活したお神楽

◯自宅を離れたおじいちゃんの庭の桜の木
泣きながらどんぐりを植えたおじいちゃん。
「もうここには住めない。原始の森へ帰れ」

帰宅困難地域
チェルノブイリでは、30キロ圏外に恒久住宅

国際基準で、1年間に浴びていい放射線量は1mシーベルト
日本は、国際基準を20ミリシーベルトまで緩めてしまった。
(レントゲン技師でも、1年間5ミリシーベルト)

モニタリングポストは、今でも毎時0.467シーベルト。年間4ミリシーベルト。

江戸時代から寒冷地で、長い年月をかけて育まれた畑の土

双葉町に、国の伝承館ができたが、
その中の展示に、放射能と云う文字がどこにも無い。

明石さんー 週刊金曜日のレポート
『もはや疑えない福島での「がん多発」』
胃癌ー
子どもの甲状腺癌は241名 子どもが38万人

放射能は目には見えないーけれども、人の細胞に刺さる。