心から敬愛するおじいちゃん貴方の孫で幸せでした。
本当に本当にありがとう❤️
祖父の逝去に多くのメッセージを頂き、皆様ありがとうございました。

先日97歳で天寿を全うした祖父。先月逢いに行った際には、かのんの成長をとても喜んで下さって

「大きくなったなぁ!七五三 お祝いしてやらなきゃなぁ!」と笑顔で、自分の足で歩いていた祖父。
最期まで寝たきりにならず、気丈な祖父らしい立派な生き様を見せて頂きました。

幼い頃、 祖父から届くエアメールは、海外の広い世界に目を向ける視野を頂きました。

戦前・戦中・戦後を生きて、日本を世界第2位の経済大国にした世代。
夜間大学へ行き、年の離れた弟達を養いながら、エンジニアとして、海外勤務の多かった祖父。

戦争では竹槍で飛行機を落とせるはずない!と教官の布団にノミを入れた話や、イギリスの捕虜になりとても苦労したとの話も聞きました。

戦後は中東やインドネシアでの石油プラントの建設に携わり、語学と技術力で現地の人との信頼を築いた祖父。
そうした先人達が築いてきた友好と信頼を、政治が裏切る事は、あってはならないと感じます。

80歳まで現役で、海外勤務の多かった祖父。
幼い頃は、祖父からのエアメールが楽しみでした。

私が小学校に上がると、おじいちゃんの英語教室が始まりました♪
祖父が国内勤務の時は、毎週日曜日の朝、おじいちゃんの家で英語を教えて頂く事が、とても楽しみでした。
筆記体が上手に書けるのは、おじいちゃんのお陰です。
おじいちゃんの英語教室は、大学卒業後まで続けて頂きました。

大学入試の勉強も、大学の宿題の長文読解も、おじいちゃんの綺麗な筆記体で書き込んで頂いた参考書は宝物です。
「大学生になって、まだ字引をひいているのか?おじいちゃんの時代は、辞書を食べて覚えたもんだ!」と、本当に生き字引の様な博識な祖父は、幼い頃から自慢の存在でした。

晩年祖母が体調を崩して夫婦で入居した老人ホームでも、「分からない漢字は、いつも森さんに聞くんですよ。」と、老人ホームで働いていた外国人の介護士さんとはインドネシア語で話していた祖父。

祖父の故郷の館山の蜜柑山に、一緒に行った事。
2人で蜜柑山に腰掛けて、お弁当を食べたこと。

大学入学の際、生まれて初めての海外旅行をプレゼントして頂いた事。
大田区で選挙に出た際、駅で「おじいさんからお手紙もらいましたよ」と、会社の後輩に手紙を書いて、影で応援して下さっていた事。

祖父の家は、いつまでも変わらずにあって欲しい
私のふるさとでした。

おじいちゃん・おばあちゃんの前では、
いつでも幼い子どもの頃にタイムスリップ出来る、
タイムマシンの様な場所。
帰る時には、いつも「このまま時が止まってしまえばいいのに」と願っていた
いつまでも変わらずにあって欲しいふるさと。

大好きな おじいちゃん 貴方の孫で、本当に幸せでした。
おじいちゃんから教えて頂いた努力の大切さ、
頂いた多くの宝物を胸に、前を向いて頑張ります。

本当に 本当に ありがとうございます✨

https://ameblo.jp/moriaioota/entry-10798205476.html?frm=theme