昨日は【東京都議会 八ッ場ダム視察】

東京から片道4時間。平成31年度完成予定の東京の新しい水がめ、八ッ場ダムへ。

間もなくダムに水を入れたらもう見る事のできない完成間近のダムの街へ。

かつて政争の具ともなった“八ッ場ダム”。

一時中止された上で、環境影響調査と住民との合意も重ねられ、長い年月をかけて、いよいよ完成目前の八ッ場ダムを見て参りました。


八ッ場ダムはなぜ必要とされたのか

ダムの役割〉

1、洪水調節 下流に流す水の量を調節

2、飲み水の確保、川の水をダムに貯める

11日平均289を使用すると仮定し、約640万人が生活できる量。

3、吾妻峡の景観保全 水量の確保、流量2.4/sを確保。

4、水力発電    11,700kWを発電(約12,000軒分に相当)





重力式コンクリートダム。

高さ116m(直轄ダムで18位)、堤頂長 290.8m、総貯水容量 1750万㎥(直轄ダム20位)、流域面積711.4k㎡、

東京ドーム87億個分の水圧は90tにもなる。

100年以上の巨大ダムの歴史と技術を結集した工法となっている。


昭和22年のカスリーン台風による利根川の決壊により関東地方も大水害の影響を受け、浸水家屋30万、関東で1100人の死者が出た。


現在、同規模の利根川首都圏広域氾濫による大水害の被害想定は、浸水面積530km2、浸水区域人口 230万人、死者数約2,600人、孤立者数(決壊2日後)最大約110万人とも試算され、治水対策が進められてきました。


昭和27年「利根川改修改訂計画」の一環として調査に着手されたが、「沢の水を引いた簡易水道を大切に使って平穏に暮らす山里が、水を大量に使って快適な生活を享受している都会のために、なぜ一方的に犠牲を強いられるのか」地元の反対運動。


長野原町は、多くの世帯が沈んでしまい、多くの観光客が訪れる温泉街もあった。

住民の生活はどうなるのか、昭和55年「生活再建案」

平成4年長野原町と群馬県による「基本協定」

平成6年の渇水

平成21年に事業の見直しが行われ、「八ッ場ダム建設中止」一時中断された。


平成22年八ッ場ダムの事業検証

治水利水の視点から、本当に八ッ場ダムが適正なのか、当時のデータに誤りはないのか。再度検証が行われ、平成23年に事業再開。


平成27年起工式

市民の反対運動と、政争の具になった経緯があるが、地元での長年の話し合いと、事業の必要性、環境影響等、幾度の検証が行われて今に至る。

吾妻川の上流に八ッ場ダムを作ることになった。


計画当初吾妻川渓谷への影響が大きいことから、600m上流に計画を変更し、吾妻峡の美しさを3/4そのままで保全する計画で、事業が行われた。


硬く重い安山岩を砕き、大中小の4つのサイズに分別をし、強固なコンクリートを城壁の石垣を積み重ねるように。

スランプゼロという、非常に硬いコンクリート、【巡航RCD工法】という、全国で5例目となる新しい技術で築き上げられた。

1日で4000m3というスピード。


平成31年度完成予定。


12:00 やんば道の駅 年間100万人の利用がある。(国道沿いではない近隣の我妻道の駅は、年間30万人程度)



13:00 移転地で、温泉宿も移設され、同じ温泉に入ることが出来る。


13:05  国交省 遠藤武志さんより。

「やんば資料館」にて、八ッ場ダムの概要、歴史、工法等をレクチャー頂く。



利根川水系の中でも、八ッ場ダムは水系がとても大きい。


治水と利水 日本の森林は7割、


工事自体の完成は目前だが、埋蔵文化物調査などを終えて、

水を溜めて下げる、雨量によって、年度内の完成を目指して作業が進められている。


水没5地区の再整備については、地区ごとの高台を現地で整備し、地域のコミュニティをそのまま残す方式がとられた。


家屋移転は 470世帯

代替地に住宅や学校、道路、鉄道平成26年より新しい線路で我妻鉄道線路の付け替え(10.4km)が行われた。


温泉をポンプアップして組み上げ、そのままの温泉を保全している。



その2に続く