「幼い尊い命を守る為に行政として何が求められているか」児童虐待防止をテーマにシリーズで学び、参加者同士で議論を深める【日本未来政治塾】に参加。

至誠学園名誉学園長・所長 児童福祉研究所
高橋 利一さんより、戦後12万人とも云われた戦争孤児の保護活動からスタートした児童養護施設の歴史的背景を伺い、
近年の児童虐待による痛ましい事件を繰り返さない為に行政・自治体に求められる政策について夜遅くまで熱い議論を交わしました。

未来を担う子ども達の命が虐待により失われるような事が2度と無い様に

◯1番川上の議論で言えば、『母子手帳を貰うまで、行政と繋がることはできない。』
10代の妊娠中絶が1万人を超えるというショッキングな数字に、妊娠に関する不安を抱えた方に寄り添う相談窓口についての課題や、
妊娠検査薬(を買いに来た方)に、相談窓口の案内を出来ないか。
 
◯産後ケア施策の自治体間の格差
子育てを孤育てにしない、産後のお母さんに寄り添う支援の必要

◯『子どもの人権』という視点。子どもが何処でどの様に育つ事が、その子にとって最も幸せか。実親の権利が強い故に、里親制度の弊害になっている事案も。

◯一方で、虐待の実態がないのに通報・措置された子どもと家族の心のケアも必要。

◯行政が全ての子どもを把握しているか
1歳半・3歳児健診に来ない子どもが虐待の危機にさらされていないか、全ての子どもと逢う努力をしているか、その為の制度は整っているか。→無戸籍の子どもを生み出さない為にも。
等、多くの課題があり、今後それぞれの議会で質問を行い、児童虐待が起きる前に、母子と全ての子ども達を支え、虐待の芽を摘む事が求められます。
その為の地域づくりとして、私も先の都議会本会議で質問しましたが、国では子育て世代包括支援センターの設置を努力義務としており、都としても区市町村の設置を支援して行くとしています。

子ども家庭支援センター、子育て世代包括支援センター、児童相談所、自治体によって取り組みに差があり、利用者が分かりやすく利用しやすい制度づくり。
地域住民によるボランティアの参画等、地域と行政、学校、施設が共に連携しながら、子ども達を見守り育む地域づくりが求められます。
そして、各自治体で子どもの権利条例を制定し、子どもの人権という視点で、一人ひとりの豊かな育ちを支える社会を築いて行きたいです!

以下、至誠学園名誉学園長・所長 児童福祉研究所 高橋 利一さんのお話より。
「少年保護の取り組み
幼少期の思いで 両親が少年保護の活動をしていた。
 
昭和22年 少年保護法の改正(GHQの指導により)→養護施設へ
手続き上から、認可は3年延びてしまった。
 
当時は1歳までが乳児院。本当に生まれたばかりの赤ちゃんから入所してきた。
当時 神社内の立川児童相談所に通い、地域の相談に応じていた。
 
学生時代は、施設の子ども達と一緒に寝泊まりして育った。
 
施設と云うイメージではなく、想いは、家庭。
集団が大きいから、どうしても施設という風になってしまうが、兄弟4人、結束して
施設の子ども達みんなのあんちゃんという思い。
両親は子ども達(施設の)こと優先だった。家族は3倍働けと云われた。
 
ソ連の捕虜にもなり、死ぬ思いで戦後日本に帰ってきた父
子ども達とのコミュニケーションで築き上げた信頼と地域とのつながり。
 
父は、あちらこちらから借金をしながら新しい園舎を造り、父が残した借金を必死の思いで返した。約40年かけて、手放した土地を取り戻した。
そう云う思いをして、3つの施設を立ち上げた。
切れ目のない支援をめざし、乳児院、養護施設、大空の家(大学に行かれる養護施設)
 
住民の反対で出来なかった場所もあった。
「我が町をふるさとと思ってくれる子ども達が来るのはウエルカムですよ!」と云ってくれる所もあった。
 
施設の子ども達は、特別な子ども達ではない。
事情があって育てられなかったり、親を病気や事故で亡くしたり、そう云う条件はあっても、普通のこどもたち。
 
制度にはない仕事でも、お母さんが末期がんのこども。お父さんは男で一人一生懸命育てている。親の帰りが遅いとき、学園で学校帰りに待っている。
ショートスティ・トワイライトステイ→『父子家庭に朗報!』と後に厚労省の制度となった。
制度に無い事業が、社会のニーズとなり、制度化された。
 
拠点的な役割が必要となってくる。
 
制度と制度の狭間の仕事。→実践の中から生まれてくる現場のニーズ
 
養護施設そのものは、本来は国が責任をもって行う仕事。
措置 と 非措置、戦後、慈善団体や宗教団体が日本に来て、国が土地を提供して大きな施設は殆どが横文字の法人名。
 
しかし、本来は、こども達に必要なのは家庭 だから、小規模で家庭的である
 
里親制度、基準を満たしていれば施設になったが、基準を満たさずに解散して行った施設もあった。
 
当時12万以上の戦災孤児。
 
養護施設と母子寮、生活保護による養老院。
現在でも85%は民間施設。
 
家庭的養育が求められる中、
 
虐待を背景とする子どもにたいする治療は、身体だけではなく精神面の治療
 
養護施設に求められる役割が時代と共に変化している。
 
大きな施設は徐々に、家庭的養護、里親制度の拡充を目指す中で、全ての子ども達は家庭だけでは受け入れられない。
施設を、いかに家庭に近づいてゆく事が出来るか。
施設のユニット化。小さな単位での施設の在り方。
施設型の養護施設から、情緒的治療を必要とする施設へ。
 
イギリスでも、6人の子どもに対して11名の専門職が支えている。
最近では、25歳までの支援が必要だと考えられている。
 
都市部の虐待の問題。
核家族の中で、家族の問題が周囲から見えづらくなっている。
 
先日の夜、公園のベンチで座り込んでいる高校生の男の子。
子ども同士の信頼関係による ピアカウンセラーの様な役割を果たすこともある。
両親の虐待により、家に帰れない高校生の男の子。
「僕も学園に入る条件は揃っている」と話す少年。
 
こども自身も、悩みを口に出せるような社会。
地域の拠点として、措置された子どもだけの施設ではなく、地域の悩みを抱えた人たちが出入りできる場所として。
 
本来は、児童相談所の役割。
 
措置というのは、都道府県の知事の権限。
 
児童相談所が、本気で子どもの方を向いていないと、こどもは救うことは出来ない。
 
ただ、通告があれば飛んでいくような児童相談所では、不十分。
 
今、都道府県から、自治体への移管が進められようとしているが、東京都の手を離れてしまっては、自治体ごとに差が開いてしまう恐れもある。
本当により良い児童相談所の在り方は、どうしたらよいか、
 児童相談所改革は、待ったなしの状況。
 都内11か所の児童相談所は、どの様になっていくか。
 
大人の為の施設ではない。あくまでも、子どもの為の児童相談所として。
 
Q、戦後は宗教団体が主体となっていたと云うが、民間が主体となって作り始めたのはいつからか
A, 法が出来てから。被災地にボランティアが支援に行って出来たようなもの。
児童指導員といって、大学で教員資格や心理学等を学べば出来る。
15歳で児童養護施設を出る事は到底無理。高校に行くには、特別費 と云われる。
児童養護施設の子ども達にとって、高校に行くという事が、特別なこととされてしまう。
就職するまでの4年間もとても大切。大学に行かれるようにすることが求められる。
 
「3年間現場経験があれば」という任用資格もあるが、国が認定資格を定める必要がある。
養護施設は、集団としては小さい集団。国が措置制度を推進したのだから、ただ働き方改革で40時間を守れ!というだけでは、施設はよくならない。
 
里親制度の推進と共に、里親さんにも学ぶ機会も求められる権利擁護的なものも必要
 
施設長がいて、ソーシャルワーカー等ちゃんと資格をもった施設長の補佐をする職員配置が必要。
子ども達には、大人が想像できないような壮絶な過去・経験をもっている子ども達も居る。
そういった子ども達に寄り添う、専門性が必要。
 
制度が出来て、出来た施設と云うよりも、現場の必要と思いがあって生まれた施設が多いが、今後はガバナンスやマネジメント。
今後は大きな施設はいらない。きめ細やかな里親制度が広がっていくには、どの様に里親を育成していくか。
社会福祉士、専門性を持った職員、数も必要になる。
資格を持っているだけでは、社会経験も求められる。
 
Q, 昭和50年代、60年代、指導員の資格が、保育士や社会福祉士と云った資格を持った人が本当に居ただろうか。
施設内虐待 閉鎖的な当時の施設の中で行われていた虐待の実態。
 
A, 施設内の虐待を防ぐために、ガイドラインが作られた。
宗教的なバックグラウンドをもつ施設。施設の日常に、地域の方々がどの様にかかわりを持つことが出来るか。実習生の受け入れにより、外の風を入れる事。
そういう子ども達に対して、どの様なケアを行う事が出来るか。
『一番は、子ども達の尊厳・人権・自尊心をどの様に守ってあげる事が出来るか』
 
制度で縛っていく事が難しい→大きな施設から、小規模、家庭的な里親制度へ
 
しかし、里親さんの開拓がとても大変、かつてのボランティア的に受け入れてくれていた時代とは時代的に変わって来た。
そこに居る子ども達に、本当に良いのか。
施設の職員は、本当に親同然。虐待をされても、受け入れる事しか出来なかった子ども達。
 
A, 施設出身者は、いつまでも施設出身と云われる。
だから、ボーイスカウトやガールスカウトを造って、施設の子ども達を『普通の子』にしたかった。
施設の子ども達が募金活動をしていると物乞いのように見られてしまう。
ボーイスカウトやガールスカウトの慈善活動にしたかった。
 
大きな施設ではなく、普通の一軒家の様なグループホームや、小さなアパートでいい。
周囲からの目。
生活の形態は違うが、普通の子ども達だと理解して欲しい。
 
きれいごとではない。
 
子ども達がおぼれていたら、自分が泳げなくても、子ども達の為に飛び込む!それがこの仕事だと思う。
 
妻の父親は裁判官。白黒つける仕事。
 
Q, 施設と学校との連携はどの様になっているか。進学や就職に関して
 
A, 学校の先生方 養護施設は新任の先生方の研修の場にもなっている。
学校でいろいろな事がある。学校がすごく荒れた時代に、PTA会長も務めた。
「暴力を追放しよう」「学校の自治を守ろう!」という卒業式も見てきた。
生徒と、PTAと学校と、地域の議員と行政、共に連携しながら子どもを支えてゆく地域づくりから実現してゆく事が必要。
 
養護施設の施設長は、児童福祉法上は、親権者。当時は、名字が違う事を嫌がった子どもも居た。
 
虐待の通報は一人ひとり、みんなに課せられている。
 
【 第2部 共同質問検討会議 】
 
未来日本政治塾「児童虐待をテーマに共同質問」に向けて、行政に何を問うか。
23時過ぎまで熱い議論が行われました!