『児童虐待問題と どう向き合うか』
 昨日は、久が原にある児童養護施設聖フランシスコ子ども寮で、ルポライター杉山 春さんにお話を伺いました。

 実際に虐待をしてしまったお母さん達と向き合い取材されて来た杉山さんの言葉は、
 声に成らないお母さん達の悲鳴と、
虐待で失われた子ども達の命の悲しみに、
胸が締め付けられるようでした。

周りの住人達が気付いた小さな異変、子ども達の泣き声、お母さん達のSOSが、行政の支援に繋がっていたら、
手を差しのべる事が出来ていたら救えた命の重み。

 雇用の流動化、非正規就労の増加、女性・シングルマザーが正規社員に成る事の難しさ。
 一人親家庭の就労率は、世界の中でも高い一方で、一人親家庭の子どもの貧困率は54.6%と高く、若いシングルマザーが、水商売や夜の仕事で子どもを育てていることは特別な事では無く、実際に、私の所にも、そういったお母さんからの相談や、DV被害で母子寮を紹介した例もあります。

国は、少子化対策や「すべての女性が輝く社会」と言いますが、国が取り上げて居るのは、既に輝いている女性経営者やキャリア、女性リーダーばかり。
本当に現場で、頑張りたくても頑張れない、
仕事と子育てにいっぱいいっぱいのお母さん達の緊迫した状況とのギャップを感じる。

「虐待」杉山さんのお話を聞いて、
お母さん達が、特殊な鬼なのでは無く、救われることの出来なかった被害者でも有るのだと、
そして、虐待をしてしまう親の幼少期には、自らも何らかのネグレクトや虐待を経験していて、
その問題の根の深さ、虐待の連鎖を断ち切る支援の必要性を感じました。

 "行政として、そういった母子・父子の
"声に成らない声"を、どの様に汲み上げて行くことが出来るか"
"子どもの支援は増えて来たように思われるが、子育てを孤独にしない支援に、どの様に繋げて行けるか"
"本当に子どもの幸せ"を考えた時、その後の育つ過程で、どの様に支援して行くことが出来るか
多くの課題について、考える機会を頂きました。

お写真は、杉山春さんを囲んで


北澤区議・チラシを持つ「気まぐれ八百屋だんだん」の近藤博子さんは、子どもの貧困問題に目を向け、日本で始めに「子ども食堂」を立ち上げました。

1月31日には、子どもの豊かな育ち・居場所・貧困問題などを話し合う『子ども笑顔ミーティング』が開催されます!

帰りは、『イチゴイニシアチブ』https://m.facebook.com/ichigo.initiative/?fref=photo
で養護施設の子ども達に笑顔を届ける活動をされている、さゆりさんとも、子ども達の自尊心を育てることの大切さをお話しさせて頂きました!

↓以下は、杉山春さんの講演より

・子育ては大変だと言われる時代に息子を産んで
1932年に満州が作られ「満州女塾」
若い開拓青年達(満蒙開拓青少年義勇軍)のための花嫁養成所
佐世保の港には、引き上げ女性の為の公的な中国人の子どもを降ろす為の施設があった。

80年代と90年代の子どもを取り巻く状況に変化
児童虐待の急増。
母親の孤独"子育ては辛い"という母の声

出産後は、身近な父母の声を聞く活動を始めた
愛を受けずに育った母親
愛されるのが当たり前の我が子に嫉妬をしてしまう。普通の母親になりたい。

夫への嫌悪感。夫に本音を話せない。

90年代 家族の中で子育てが辛い母親ー

・2000年 ネグレクトで愛知県の3歳児の餓死
著書『ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか』


・児童虐待の防止等に関する法律施行2000年11月
発達の遅れ、子どもへのマイナスの気持ちをケアしてくれる人が周りに居ない。

医師 子どもの体重が急激に増えると云うことは、逆に、ネグレクトを疑わねばならない。
虐待の背景にある『価値観』
ー孤立は、価値観の違いからー
社宅・地域での他の母親との孤立

→父親は、仕事は真面目だが、自分もネグレクトを受けていた
→母親もネグレクトで育った。母は家出、父親は放棄され飢えを知っていた。
内に、病理性を抱えていた。

ネグレクトしてしまっている状況は、既に、強い不安や正常な精神状況ではない。

・大阪市西区の事件(2010年)
著書『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』
50日間置き去りにされ、3歳児と1歳半の子どもが亡くなった。

日本経済と、女性たちの姿が直結している。
70年代ー高校全入に時代になり、進学によって、その後の人生が振り分けられる時代になった。
父親は厳しい高校教師 ラグビー部で母校・地域の期待を背負う
母親は高校の生徒で問題児
実母の浮気と離婚からネグレクトを受ける

→殺人罪で懲役30年の実刑、児童虐待では最も刑が重い。
→検察:責任能力がある
弁護人側:解離性 犯罪意識がない

☆記憶が曖昧 具体的なことを覚えていないのは、トラウマ的な経験への対処法

父親 3人の娘を、男手1つで育てた。
仕事を頑張っている背中を見せて、ご飯をしっかり食べさせれば、子どもはちゃんと育つと思っていた。
解離的な行動 辛い自分の体験を、"自分とは違う人間が受けている"と問題から逃げて行く防衛反応。
「解離性障害」自分が自分であるという感覚が失われる状態。
→治療では、子どもが安心できる家庭環境を築くこと。周囲の理解とサポート。

"母親になりたかった"
うまく育てて貰えなかった、自分の空白を埋めたい。しっかりと子どもを育てたい。
自分を取り戻したい。

主婦時代、とてもしっかりとした子育てをしていた。完璧主義。
行政の支援は、全て使っていた。

しかし、離婚時の誓約書では、
21歳で二児を抱える母親には、あまりにも厳しくリアリティがない。
→自尊感情をきちんと育てて貰えなかった母親が、周囲の厳しい価値観を刷り込まれる事によって、SOSを出せなくなっていた。
離婚協議の場で、子ども達の養育や未来について真剣に話し合われた形跡はない。

お母さんと子どもは、別のものであり、
子どもには子どもの権利があり、守られるべきもの という視点が抜け落ちていた。

離婚後、誰も手を差しのべてくれない。
子どもが病気になっても、自分が寝込んだときも、元夫も実父にも断られた。
息子の一歳の誕生日にも誰からも連絡がなかった
「私たちの事は、無かった事にしたいのかー」孤独感から恋人へ

→公的支援が充実しても、なぜ困難を抱える母はそれを使えないのか。
○社会が自分を助けてくれるということを知らない。

子育てを楽しみ、一生懸命育てていた時期がある
気持ちを周囲に伝えられない
自己表現力が弱い
助けを呼んでいた時期がある。

母子家庭の急増
母子家庭は、40年間で60万世帯から124万世帯へ倍増

若者は社会的な支えが乏しい状況と性意識の変化
安定した就労の大変さ。

非正規就労、相対的貧困率

○町が提供する子育てメニューの利用
○離婚・転居先で児童扶養手当申し込みで、書類不備。手続き出来ず
子どもの1才半検診を受けず、居住実態が分からず。
○名古屋市 長女が夜間マンションの外で保護。児童相談所は、生活困難者

『虐待だと判断すれば失礼になる』への疑問。
親へのレッテル貼りではなく、
支援が必要な人であれば、どうすれば支援ができるのかを考えることが必要ではないかー

同じマンションの匿名で、虐待を疑う通報→住民票がなく、行政が把握できず

「母親であることを降りる」
母親であることにこだわり、
50年間、子どもの元に帰らなかったことについて「子どもが嫌だったのではなく、子どもの周囲に誰も居ない状況が嫌だった」
放置された自分の子ども=自分。
ネグレクトされた自分と向き合うことができない。

「母子密着」子どもが実母のコントロールから抜け出せなくなる。子どもの自立の力を奪ってしまう。

「問われていること」
○自分の五感を信じて行動できているか
○行動を助けるのは正しい知識
○個人を支える体制・ネットワーク
○自分の不安を語れる人がいるか
→職場・周囲の友人への相談。
SOSの声聞いた他者が、誰かに伝えなければ、無かった事にされてしまう。
○世界は信じられるとどの様に若い人たちに伝えるか
○「適応ではなく、対話を」若い人たち、女性たち、困難を抱える人たちが語る言葉に耳を傾けているか。

自分で自分の身を守れない子どもを、そのまま社会に出してしまうことは危険。
社会的擁護が、豊かに行われなければならない。
施設の状況
・行政にSOSを出した事によって、母親と引き離されてしまう悲しみ

・18歳で施設を出なければならない子ども達のその後を支える場所の必要。
ホーム、丁寧な就労支援必要。