おばあちゃん あなたの孫で、本当に幸せでした。
本当に、本当に、本当に ありがとう✨

『命の尊厳について 終末期医療について
家での看取りについて深く考えた1ヶ月間』

働き者の手、リウマチで曲がった手で、
いつも、家族を守ってくれた
とても大きな存在。

先月の敬老の日のお祝いはこんなに笑顔で 
96歳でも、オムツは嫌だって、
最後まで気丈な おばあちゃん

転んで先月入院して すぐに帰ってくるって
仕事が終わって病院に行くと
「愛ちゃん優しい子だねぇ」って
「幸せかい?」って心配してくれた。

おばあちゃんの前で私は、いつまでも、小さい子どもの心に戻れた。

「早く家に帰りたい‼」
金澤翔子さんの字に感銘し
達筆だった祖母は「退院したら、また書道をやりたい」と言った。

苦しくても、決して弱音を見せず、
最後まで「生きたい」と言った。
強く 美しい 信念の女性だった。


病院で誤嚥性肺炎を患い、すぐに帰ってくると思った骨折での入院で、見る見る痩せても、強い眼差しと生きると言う意思 祖母は、最後まで諦めない人だった。

食べることが大好きで、点滴を嫌がったから
自宅療養でも、胃ろうを断り、点滴を断り
流動食での回復を願った。

食べることも、飲むことも出来なくなった時、
家族は、手を握ることしかできないのかー

終末期医療、自宅での看取り
「自然に任せたい」と願う家族。

「1ミリでも望みがあるのなら、点滴をして意識の回復を信じたい」と願う本音。
時折、顔をしかめる祖母に、苦しまないで欲しい、脱水が苦しいのでは?
と思い悩み
在宅の先生に私と妹で懇願して、点滴をしてもらった。

過度な、積極的終末期医療は、控えよう。私も家族も、チューブだらけには、したくないと、胃ろうも断った。

私のエゴかもしれない。
けれども、点滴をせずに、ただ死を待つのは辛すぎた。

一昨日の夜は、話しかけると頷いて、
強く手を握り返してくれた。
温かい 温かい 祖母の手。

一昨日、点滴をし、顔をしかめることもなくなった。
聴覚は最後まで生きていると聞き、
手を握りながら、祖母の好きだった
「見上げてごらん夜の星を」を歌った。

体調が悪くなってからも、この歌を歌うと、祖母は一緒に口づさんでくれた。

手を握りながら、ふと、大きな呼吸が聞こえなくなった。
信じたくなくて、消防団仕込みの心肺蘇生をした。
でも とても安らかな寝顔のような表情に手を止めた。0時17分

0時17分同時間 まだ状況を知らない川崎の妹から、「飛行機雲を歌って、急に涙が止まらない」とメールが入っていた。
おばあちゃんは、妹のところへ、飛んでいったのだろうか?

介護の答えは、分からない。
点滴を懇願したのが、良かったのか?悪かったのか?遅すぎたのか?
介護に正解はない。
でも、後悔はない。

全力で祖母を愛して、全力で泣いた。

在宅の先生が来て、0時39分臨終を告げ、
訪問看護の方と、一緒に、祖母の体の隅々まで綺麗にして頂いた。
祖母の、髪一本まで丁寧に、綺麗に綺麗に、愛情を込めて
祖母の生きた証 しわしわになった身体
全てが、愛しかった。

病院での看取りが多い中、ここまで一緒に出来ることは、命と向き合う貴重な事に思えた。

まだ、温もりのある祖母に、お気に入りだったスーツを着せた。
髪を整えて、妹がほんのりお化粧をした。
一つ一つの作業が、ゆっくりと現実を受け入れる大切な作業に思えた。

朝になっていた。
祖母の横で、母と、叔母と、私と、川の字になって、少し眠った。

暖かな家族の愛情に包まれて、とても安らかな最後でした。

膨大な祖母の写真を、生い立ちから徹夜で映像に曲と字幕を入れ
作品『やま子の人生の物語』を造ってくれたサットンの思いやりが、有りがたかった。

高齢者医療で信頼している京浜病院の熊谷先生の提唱する、高齢者慢性期救急医療病棟の必要を、強く感じ、在宅医療・介護家庭を支えるには、慢性期病棟が不可欠だと実感しました。
在宅医療の高瀬先生にも、アドバイスを頂き、感謝しています。

おばあちゃん いつまでも、私は、あなたの孫。
本当に、本当に、ありがとうございました。
強く、凛として、決して諦めない
そんな祖母を誇りに、生きて行きたいと思います。