私が「造形教育をもりあげる会」造形教育研究大会に初めて参加したのは、1961年の確か第30回大会だったと思います。
当時私は、川崎市の教員となって6年目でした。その年、川崎市図画工作科研究会の常任委員となりました。この当時の研究会では、常任委員の組織の中に、「造形教育をもりあげる会」という役割分担があり、新しく常任委員になったメンバーの中で比較的年の若いものがそこに配当されていたようです。
ということで、私の名前もその分担に入っていました。この役割分担に入ると、もりあげる会の造形教育研究大会に参加しなければいけないものと私は思いこんでいました。案内チラシが配られると、早速参加申し込みをしましたが、宿泊研修だということでちょっとびっくり、しかも、知らない人と相部屋になると聞いて、知らない人と練るのは嫌だなと思い日帰りで申し込みました。
このころは、まだ土曜日は午前中授業があったので、学校の勤務が終わってから、川崎から小田原、そして箱根湯本へと。箱根湯本からは湖尻桃源台方面のバスに揺られて小1時間、ようやく会場に到着したときは、3時を大きく回っていました。
とりあえず受付を済ませ、よく状況が呑み込めないまま、「10の技術」というのをやっているからと言われ、一つの部屋を覗いてみると、「フェルト版画」というものの体験を行っていました。初めて知った技法だったので、体験してみました。ところが、最近になって、もりあげる会のこれまでの歩みなどで見ると、10の技術でフェルト版画をやっていたのは、もっとずっと前のことらしいのです。でも、私の記憶では、確かに「フェルト版画」を体験し、用具セットまで購入して、その年の年賀状をつくったことを鮮明に覚えています。そのずれが不思議なのですが、
それはさておき、この会場である出会いがありました。それは、大学の一つ上の先輩である矢澤さんとの出会いでした。大学以来の出会いでした。懐かしく話をしていたのですが、その中で、「今は附属小学校にいて、附属にいるとこの会の事務局をやらなければいけないんだ」と言っていました。「へぇ~!大変ですね。」と他人事のように返していましたが、まさか、翌年に矢澤さんと同じ職場にいるとは。
こんな出会いもあった初めての「もりあげる会」でしたが、さらに印象に残っていることがあります。
それは、夕食時のことでした。私は日帰りで申し込んでいたので、夕食を食べたらさっさと帰ろうと思い、夕食会場の端の方で一人そそくさと食事をしていました。すると、何やら会場の雰囲気が突然変わったのです。何事かと思っていると、だれかが、会場に入ってきて、周りの人たちに何やら話しかけながら真ん中の通路をゆっくりと歩いていきます。誰だかよくわからなかったのですが、なにやらすごいオーラが。この人が、小関会長でした。
遅れてきたので、全体会に参加できず、小関会長の話も聞いてないので、この時が初めての出会いでしたが、「え~!何この人、よくわからないけれどなんかすごいオーラが!」と思ったのが今でも印象に残っています。
その後、小関会長が全体に挨拶をしていたのですが、その話は何も覚えていないけど、強烈な印象だけが残っています。
バス停までの暗闇を歩いて、ガラガラのバスに乗って帰路につきました。家に帰るまでの間、「なんだかよくわからないけれど、すごい会だな」とずっと思っていました。 (宮川友二朗)