初めて「造形教育をもりあげる会」に参加した翌年。私は、附属横浜小学校に赴任しました。この附属小時代は、ほとんどもりあげる会の事務局状態でした。(1987 S62~1993 H5)
大会の回数でいくと、第31回大会から第37回大会のころです。
この7年間は、最初の2年は藤沢地区が事務局、次の2年間が川崎地区と、附属小は横浜なので事務局とは関わりないはずなのに、この当時は、附属小はもりあげる会の事務局を手伝うという不文律のようなものがあったようで、附属に行ったばかりの私は、当たり前のように事務局の手伝いをしていました。
このように書くと、いやいやながら仕方なく手伝わされていたようですが、現実はそんなことは全くなく、楽しかったことしか思い出しません。
このころの附属小は、文字通りの提灯学校で、夜遅くまで学校にいることがほとんどでした。そんな忙しい中に、もりあげる会の活動が入り、大会が近づけば結構時間を取られることが多かったのに、全く苦にならなかったのは今思うと不思議なことです。
振り返って楽しかったといえば、月例会や何やらで集まって話し合いが終わった後、必ず飲みに行っていたことです。事務局手伝いということで、年も若かった私は、飲み屋に行って飲む席の確保です。
なぜか、どこの場所で会議をしても、この後呑む店はここだと、必ずよく知っている人がいるのです。この当時まだ携帯電話などないので、早めにその店に行って、人数分の席を確保しておくことをよくやっていたのが懐かしいです。
この飲み会がまた楽しかったですね。とにかくメンバーが、今思うとすごい人たちばかりなんですね。
役職的にもすごいのですが、何しろ個性的な方たちばかりで、やっていることもおもしろく話題も豊富で、話を聞いているだけで楽しいしとても刺激的でした。
しかも、みなさんとても器の大きな方たちで、もりあげ新入りの若造をみんながうまくもりあげて楽しませてくれるんですね。そんなあたたかさもいっぱいの会でした。
もちろん、メインの月例会や大会に向けての話し合いなども初めてのことばかりで自分にとってとても役に立つことだったと思うのですが、あまり記憶にありません。最初のころの「もりあげる会」参加では、どいうわけか飲み会の方の印象が強く残っています。
なんか飲んだ話ばかりになってしまいましたが、このころのエピソードはまだまだ山ほどありますよ。 (宮川友二朗)