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moriage55のブログ

「造形教育をもりあげる会」会員共有のブログです。造形教育や造形活動に関するちょっとした話題や出来事など、楽しくあたたかいブログにしていきたいですね。
そして、造形活動を通して子どもを育てていく教育をもりあげていきましょう。

私が「もりあげ」の研究大会に参加した頃は前回も書きましたが、箱根や湯河原で土曜日の午後から日曜日の午前中まで開かれていました。土曜日は授業が終わってから会場へ行き、夕方近くから提案がありました。その後、夕飯を取ってから飲み会やディスコなどがありました。日曜日の午前中は実技研修がありました。
  初めての飲み会で私は萩原勉先生とお話をしました。「頑張って研究を進めてこういう場で発表をしていると教科書会社から教科書の出筆依頼が来るから授業でやったことをノートにまとめておいた方が良いですよ。」というようなことを言われたのを思い出しました。まさか私が教科書を書くなんてあり得ないと思っていました。
 また私の教育課程の提案の指導主事の後藤楯比古先生は雑誌「教育美術」の研究レポートに応募することを進めてくれました。ですから私は自分で授業をしたことをノートにまとめて1年おきくらいに教育美術にレポートを提出していました。もちろん賞をもらうことはありませんでしたが、審査員のコメントに私の名前があがることもありました。
 そして数年後には教科書会社から教科書の原稿の依頼が来るようになりました。当時の「もりあげ」の月例会は神奈川県内の各地の幼稚園・保育園・小学校・中学校・大学等で実践報告会がありました。私は藤沢という少し横浜や川崎と言う主流の場所から離れた所にいましたので、地域や校種による違いを実感されられました。私の視野が広がったことを覚えています。逗子のかぐのみ幼稚園に行ったり、もりあげの会員の皆さんが授業をすると聞くと横浜や川崎の小学校や図工の研究授業を見に行ったりしました。萩原さんの東京の小学校へも行ったりしました。また、もりあげの関係者だけではなく版画家の伊藤彌四夫さんの研究会にも参加したりしました。
 こうして私は「もりあげ」と出会ってから造形の研究にのめり込んでいきました。「もりあげ」の良いところはただ単に技法を指導することではなく、造形教育を通していかに子どもの成長に関わるかを主においていることでした。それは今も変わりません。
 私を育ててくれたのは「もりあげ」と言うことは間違いありません。しかし私が50歳前後で妻の闘病生活や病死と管理職になったりして「もりあげ」から一時離れていました。しかし、私は藤沢市の小学校の造形展「あすにのびる子ども展」ずっと関わったり、管理職でも藤沢市の図工研究の代表者になったりして神奈川県の大会や会合に参加すると「もりあげ」のメンバーに再会しました。宮川さんとは年齢も近くしばしば同席しました。
 私は退職後、これまで育ててくれたもりあげに感謝の気持ちをこめて事務局を引き受けて今に至ります。コロナの影響でこの2年間大会は中止になりましたが、これまでのもりあげの流れを止めないようにお手伝いをしたいと思っています。 (武田晴信)