研究発表を引き受けても当初は見様見真似、それをどう発展させるかが課題でした。
1976年5月(以後すべて1泊2日で実施)東京よみうりランド、第20回(310名)提案名:団地っ子たちと『物語版画づくり』・中3。「美術の授業が作品第一主義となってはいけない。作品化は大切だが、その実践を通して、子どもたちのものの見方や感じ方、考え方を掘り下げ、豊かなものにしていくことが大切であると思う。これを機会に、美術の授業をどうすべきなのか、何をどう教えねばならないのかを実践の中で考えていきたい」と願望や自己確認を記述しました。この発表での実践例は山口喜雄共編『小学校図画工作科教育法』建帛社・2018年刊の26頁に掲載し、本文に詳述しています。
笑顔の佐々木孝先生に出会い会話しながら入場した1977年5月箱根町冠峰楼、第21回(330名)提案名:団地っ子たちとドライポイント版画『全力で走る人』の制作・中2。「一中祭のテーマが〈全力〉になり、例年盛り上がりに欠く体育祭、走ることが弱い生徒、運動部加入の減少傾向、体を動かすのを嫌うという現状をドライポイント版画の制作を通して〔①クロッキーの段階、②スケッチの段階、③下絵の段階、④彫りの段階、⑤刷りの段階〕何度も立ち止まり考えさせ、よりよい形象をつくり出す努力を要請した。と同時に主題を意識させ、運動感、流動感、密度をつくり出す線の粗密で美しく表現させた」と授業実践の設定意図を明示できるようになりました。
週2から1.5時間に授業時数が削減され、美術学習を中学生がもっとも軽視しやすい時期に、いかに主体的な学びを引き出すかが次の課題でした。1978年6月冠峰楼、第22回(340名)提案名:受験期の中3生徒がカを発揮できる授業と教材づくり〔美術学習プリント、美術研究新聞・レコードジャケット・クラスのマーク・青田石の印鑑・多色木版カレンダー〕・中3。「受験期の中学3年生に焦点をあて、週1.5時間の授業で、子どもたちが創造する意欲や表現力がより高まるような授業の進め方や、教材を、試行錯誤しながら研究したものである。地域の子どもの生活を見つめながら、授業や教材を研究し、独善的指導にならないように研究会などでそのあり方を考え、自分自身の持ち味を生かした授業や原材で安価な素材をもとにした教材を開発していきたい」と新たな教育課程に対応しました。授業展開や教材、子どもの生活をふまえた授業実践へと進展が伺え、技術や知的表現が要求される教材、比較的抵抗感のある素材でつくりあげた作品が使える教材など教材観も広がりました。この実践は造形教育をもりあげる会編『未来に生きる造形教育』1981年に小関利雄・真鍋一男・中村亨の3教授や荻原勉・佐藤元巳・佐々木孝の各先生など24名の共著として掲載され、私の初共著になりました。なお、大会期日・会場・参加者数は同書168~178頁「造形教育をもりあげる会のあゆみ」から引用しました。
美術学習指導の質的な飛躍を図るにはどうするか。1979年6月冠峰楼、第23回(344名)提案名:どのようにして積極的に自分をつくりかえていく子どもを育てるか〔夏休みの美術作品鑑賞ガイド、美術史・美術家研究からの意欲を〈郷土の民話・木版画共同制作〉共同制作に〕・中2。「芸術がその人の人生に大きな影響力をもつ中学時代に芸術作品の鑑賞により、教師と生徒だけでは望めない高い世界をつくり出し、創造する意欲や表現力にまで発展させたい。鑑賞で自分も感動し、高まり、指導に生かし、子どもと魂をふれ合いながら授業を進めたい」と学習指導の深化、と同時に授業者自身のあり方にも迫る授業実践へと変容していきました。これも、「育ちの広場」の諸先輩との交流のおかげです。
コロナ禍をマイナスととらえず、旧来の授業実践研究の飛躍的発展の契機と考え、造形教育をもりあげる会の新たな広場へと飛躍させられたらと切望しています。なお、本文括弧内の小著は、教育美術振興会編の雑誌『教育美術』1986年8月号26~39頁、実践報告:教育美術佐武賞「美術教師十年の軌跡」から引用しました。
(山口喜雄、のぶお)