をとこ、めし喰いつつ、意外によくあふものとて、納豆ともずく、牛乳と麦茶、あげたり。

いまひとつ、笑ひて聞こえざりせば、問ひ返しぬ。

いらへて曰く、あなたとわたし。

云ひてのち、照れ笑ひするさま、かわゆらし>あほらし


もとい。

牛乳と麦茶は、わたしは味の記憶があまりないので今年の夏に味わうとして、納豆ともずく、これが意外によく合います。
natto ワンパックずつ混ぜるだけ(らしい)。

スーパーでは、この2品、近いところに置いてあるし、最近は納豆も品切れじゃないしw、気がむいたらお試しあれ、でございますm(_ _)m

仕事から帰ってお茶しながら、わたしは「大臣はもう辞任したかな」と言ったらしい(記憶がない。Mから話題を振ったと私は思っていた)。

ふだん、政治や社会的問題でマジな見解をいわないM(いっぱい思ってるくせに、いつもギャグしか言わない)が、いつになく真面目な顔で言い始めた。願ってもないことでございますね。


「今度の柳沢のあの発言は、そうおかしくはないと思う。本人はすぐに気が付いて言い換えたり、謝罪しているわけだし。こういう過剰反応に、わたしは<天皇機関説事件>を連想しましたね」

「天皇を機関に喩えるのは不敬極まりない」と言って言論統制の第一歩になったこの事件と似ているとは、よくも言うものだ、と、わたしはムカーッ!とする。

「天皇機関説とどこが似てるわけ? 天皇は機関である、だから天皇にどうかしろ、と機関説は言った? 柳沢は言ってるでしょ。『あとは一人頭で頑張ってもらうしかない』って。そこが全然違うんじゃないの?」

「厚生労働大臣としては当然でしょ。日本という国があるわけだから、年金制度の存続のために、どうしたらいいかとマスで考えるのが政治家の仕事でしょ。講演の中で聴衆がよくわかってないなと思ったから、喩えをつかった。その喩えまで、ああだこうだ言われたらなにも言えないでしょ」


議論のための議論でも意地の張り合いでもないので、天皇機関説事件と女性出産機械説事件(爆)は「何かを非人間的なものに喩えるのはまかりならん」と一刀両断にしようとするという点においては似ている、と認めた。しかし!

「あなたね、わかってないんじゃないの? 足を踏んだほうは、踏まれたほうの痛みがわからないっていう、そういうことをあなたはいま、言ってる」

「だから、すぐに気が付いて謝ってるでしょ。それでも許さないというのは、どうかと思うよ。野党はそれが仕事みたいなものだけど、少なくてもこの件に関して辞任要求を出すとすればトロいと思う」

「私は<『機械』に喩えるのは女性差別である、だからけしからん>っていう脊髄反射だけでこんなに怒っているわけじゃない。政府に押し付けられて、あるいは、よろしくお願いしますと言われて子どもは産むものではないと思ってるから、そういうことを大臣に言ってもらいたくない。もっといえば、少子化対策なんかやったって効果ないと思ってる(いわゆる皮膚感覚でわかってる、と自惚れてる)。赤川学の『子どもが減ってなにが悪いか』( 過去記事見てください)の受け売りになるかもしれないけど、これから政府がしなければいけないのは、少子化を見込んだ年金制度の根本的な見直しだと思ってるし、それで年金受給額が少なくなっても仕方ないと思ってる」

 ああ、食えなくたって、それは守りたい、なんちゃって。おばさん、えらくリキはいってます。私一人がリキ入れたって仕方がない話だ。政府はこれをやると中高年から支持が得られないと考えて、少子化対策に重点を置いているのか? なら、それはずりぃぜ。中高年と若者の対立構造を政府が作ってどうする。住みよい社会は望めない。つうか、年金問題の件はまず厚生労働省のとんでもない無駄遣いをやめさせろよ。横道にそれた。


「それに、あの発言は少子化対策を挙げたあとで、あとは生む性である女性頼みだと言ってる? どういう少子化対策を考えているとか、そういうこと言った後にこの発言をしたとは読めないけど」

「たった10行ほどの記事で、ああだこうだ言うのに、最近、うんざりしてる。あの記事は言い直しながら発言を続けたときちんと書いてあったけどね。30分もしゃべったんだから、当然言ってるでしょ」

「言ってるかどうかは推測でしょ」

「普通、言うでしょ。あの論題だったわけだから」

「そうかしらね」

「柳沢ってどういう人か知ってる? バカじゃないよ。竹中と争って、結局、政策で小泉が竹中を取ったというような人」

 それがドーシタ。だから、そういう考えをする人なんじゃないか、という疑いがよけいでてくるんだ。←この不信感


「それに、いまどき、まともに女性を子どもを産む装置って考えてる人なんかいないよ。女性を性的対象として見ることはあっても。たぶん、あの人の家庭生活は、普段リベラルなことを言っていて家庭では亭主関白というのとは違うと思う。日曜日には家族揃ってというようなタイプだな」

「どうして、そういうことがわかるわけ?」

「わたしの人を見る目の確かさで(ニヤリ)。この歌舞伎は古典じゃなくて新しいと、テレビで見ていてわかるわたしですからw」

はん。あほらし。ネタで落としよってからに。




Mは、わたしがカッカしてるようだから冷静になってみたら、と言ったんだなということはわかる。

・言論ファシズムの芽は保守的言論にしかない(私とは無関係w)と思っているのは認識が甘いということ。

・私の感情のアキレス腱は、女性問題、出産、育児(ほかにもいろいろありそうですが)。ここに矢が当たると荒れ狂う(爆) 

しかし、これは私だけではないようだ。テレビを見ていたら、与野党の女性議員も女性ニュースキャスターもマジ怒っている。ほら、見ろ。やっぱり思いっきり足を踏まれたと思うんだ。で、Mはそれを追求しているうちに、肝腎なことがおろそかになるって言いたいわけ?



もうひとつ、思ったこと。

育児は個人的事業であると同時に社会的事業(社会で生きる人間を育てることだから)でもあると思っているが、出産はどうなのか。年金制度のための道具なんかにされてたまるかと、そればかりが私の中でクローズアップされてきたが。

出産はしかし、これから社会で生きる人間を生むことでもある。

がぁぁ、「社会」を「国家」におきかえると、とたんにわたしは、てやんでぇ!とまた、アキレス腱に矢がプスリ状態になる。

なぜなのか? 国家(政府)を信用していないのだ。

それはなぜなのか? そういうことを言う人がいるからだ(x_x)☆\(-_-)バキ

わたしもネタでオチ作ってしまった(^_^ゞドモドモ

でも、ココロのソコではマジ考えているのよ>ほんまか


女性は「産む機械、装置」 松江市で柳沢厚労相

 柳沢伯夫厚生労働相は27日、松江市で開かれた自民県議の決起集会で、「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と女性を機械に例えて少子化問題を解説した。

 柳沢氏は「これからの年金・福祉・医療の展望について」と題し約30分間講演。出生率の低下に言及し「機械って言っちゃ申し訳ないけど」「機械って言ってごめんなさいね」との言葉を挟みながら、「15-50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べた。

 厚労省は昨年12月、人口推計を下方修正。この時、柳沢氏は「子どもを持ちたいという若い人たちは多い。その希望に応えられるよう、できる限りの努力をしていきたい」と話していた。


はあ??? あきれてモノが言えない。

言った人の顔が見たい→こちら

この人って、ひょっとして森派? だって、発想が似てるじゃん。


ところで、この新聞記者さん、上手ですね。

>この時、柳沢氏は「子どもを持ちたいという若い人たちは多い。その希望に応えられるよう、できる限りの努力をしていきたい」と話していた。

と文末にあれば、そいで、コレかよ!というツッコミは普通の感性してれば生まれるw

おっちゃんの世迷い言ならなにを言うのも勝手だけど、「厚生労働相」という意識ありますか? 無策を棚にあげて言いも言ったり、ですな。


あわてて取り消したらしいですが(

野党が辞任要求を出すようですが( ←これもワンパではあるが、しっかりとやってもらいたい



こういう発想って、女性に対してだけなのかな。

当然、労働者も、いや、国民も機械だったりして。

国民という第一次生産機械に、それぞれの持ち場にふさわしい先端の機械を与えれば、「美しい国」のGNPは上がるっていう発想をしてる、とか(;¬_¬) 

モダン・タイムス 」の時代に戻ったのか、日本は。

Mはあまり「おいしい!」と言わない人だったが、最近は言うようになった。

美味い不味いを言うのは、食している材料(もと生き物)に対して僭越である、というようなことらしいのですが、わたしはこういう発想、あんまり好きじゃない。なにかを大事にしているようで、なにかを無視していて、当人はそれが正しいと思っているようなところがあって、なんだかなぁなのだ。てっとり早くいえば、牛や豚や野菜に対するそれだけの気持ちがあるのに、アンタのために料理を作る人にはそれだけの気持ちもないのかよ、みたいなw はい、わたしは悟りたくない衆生でございます。

一方、わたしは、おいしい!と言って育ってきた。そしたら、母がうれしそうな顔をするし、またそのおいしい料理がでてくるし、これは魔法の言葉だって小さいときに体得したんだと思う。でも、あんまりおいしくないともそのまま言ってしまうのですが。



一昨夜、中華丼の具にイカを買ってきて、とMに頼んだら、生食用イカをイッパイ(一匹)買ってきてあった。いろんな具のひとつなんだから、適当な大きさにカットしてある冷凍のを買ってきてよね、手間かかるんだからぁと心の中でぶつぶつ言いながら、でも、まぁ、足とワタで塩辛、身の一部は中華丼の具、あまったのを糸造り(イカソーメン)にした。

食べていたら、Mがおもわず、という感じで、「このイカ、おいしい!」と言った。

オラ、そのヒトコトで、すっかり機嫌が直っちまっただ(^_^ゞドモドモ

ほんとに、なんだかおいしかったんです。



翌朝、Mからリクエスト。「昨日のイカの刺身を今日も食べたい」

オッケーっス!


それで、こんな具合・・・


あなたがおいしいと言ったから今夜再びイカソーメン



キミがため仕事帰りのスーパーで一割引きのイカを買いつつ


(イチオ、俵万智と光孝天皇のパロディなのでございますが(;¬_¬))


イカはもう一杯しか残っていなかった。まだ午後7時頃だったのに。

で、また、イカを解体し(牛の目玉とかの解剖は聞くのもほへぇだけど、イカを造るのは好き。食べたい一心でw)たり、あとは、ちまちまちょこちょこと、かっこつけて半月盆に盛ってみた。

このあたりになると、本日の日記ネタを意識してたのである。であるにもかかわらず、「学食のような」と、からかうM。「ちがうでしょ」と言ったら、「料亭のような」。そ、それも違うな。お刺身定食みたいになっちゃったか(--;

yusyoku

・里芋の煮物は、八百屋さんで調理済みのものが売っていたので、迷った末、手抜きした。本当は、イカを二杯買って、イカと里芋の煮物を作って「イカ尽くし」にしようと思ってた。この里芋はなかなかいい味だった。

・イカの塩辛は、今回もまあまあのデキ。

・甘えびが残ったので、味噌汁に入れた。

・香の物は彩りに野沢菜漬けがよかったんだけどなぁ。


それで、肝腎のイカの糸造りなんですが、一昨日のほうが絶対においしかった。

鮮度が違ったのか? 個体差がわりとあるものなのか?

むぅぅぅ、ザムネン!

ooku 映画公式サイト( )  赤い星印はリンクです。


牡丹に蝶をあしらったパンフ表紙。イヤミなく金色が使われていて、なかなかステキ。

モダンな感じがするかもしれませんが、花の部分は名物裂( )の一重蔓牡丹( )をアレンジしたものでしょう。



ありえねぇ~~!が50回ぐらい(x_x)☆\(-_-メ)バキ
だけど、「東映は元気だ! よかった!」を実感した映画です。


超長文、すみません←先に謝っときます。



前置きの①
「大奥」がテレビで始まった頃、少し見て、わしゃ見ない!と思ったドラマでした。
私にとってはストーリー以前の問題でした。若い女優さんが素顔(のような薄化粧?)で演じたのも話題になっていましたが、将軍の夫人や奥女中が真昼間に素顔でいるわけがない(べったり塗れとはいわないが)。
それに!衣裳が全体的に色調が暗く、金色はじめ各色とその模様がイカニモ安・・・で、ああ、時代劇はこういうふうになってしまったか、といまさらながら_| ̄|○でした。
エンタメ志向の強い時代劇ならストーリーはありえね~!の連続であるのはもとより承知、だからせめて周辺をそれらしくしてもらわないと、私は楽しめませんのです。
嘘をつくなら周辺をできるかぎりそれらしくって、フィクションの基本じゃありません?



前置きの②
わたしが、やっぱり見ようと思った理由。
暮れのテレビドラマが初期の印象よりずっとよかった。
映画の予告編をちらちら見ていると、衣裳が初期テレビドラマとは全然違う。これはイケルのではないか、と思った。
決め手は、この映画が「絵島生島事件( )」を題材にしている、と知ったから(遅い!だって見ないと決めてたw)。実際にあった大スキャンダルのこの事件、わけても絵島に惹かれ、ずっと昔w、絵島が蟄居した信州・高遠の屋敷にも行ったことがありました。去年、連句で捌きをさせていただいていたとき、<炭果てるまで絵島帰らず>という句が出て、前後を顧みず(x_x)☆\(-_-メ)バキ、この句をいただきました。史実は、朝帰りなんかじゃなくて門限に遅れたということのようですが。


前置きの③
友人夫妻は過日、「大奥」を見たそうだ。
夫さん曰く、
「右に中年夫婦の奥さん、左に自分の奥さんが座っていて、途中から右がハンカチ持ち~の、ぐじゅぐじゅ鼻をすすり~ので大泣き、終わりの頃は左も泣き、真ん中の私はなぜ泣くのか理解できず」だったのだそう。それで、私が今週見るとブログに書いたら、こんなお題が出ました。
<「大奥」を観たら、女はなぜ、どこで泣くのか分析してくれない?>
鋭意、努力いたしませう。


さて、本題です。
「ありえね~!ベスト50」(^o^;)のうち、三つだけ面白そうなものを突っ込んでみます。

同時に「前置き③」の課題にも答えられるかな。


ベスト1
敵方w天英院(高島礼子)の後方左右に控えている、赤い振袖の若い娘。
こ、こ、この構図は、どうみても花魁(おいらん)と禿(ハゲじゃなくてカムロと読んでね。花魁見習いの少女です)でございますぅぅ。
歌舞伎でも邦画でも、赤い無地の振袖を着て左右に控える少女のその中心にいる人は花魁と決まっているのでございます。舞踊では禿が一人で踊る有名な曲もあり、この赤い無地の振袖だけで禿とわかる人はわかる、そういう非常に記号化された衣裳なのでございます。
よりによって出家した大奥の未亡人と御付きの女中を、なぜ花魁と禿の構図に・・・?(テン・テン・テン、眼がテン)。シュールでございまぁす(太った奥女中の「美味でございまぁす」は超おもろい)。

だけど、深い意味はなかったりするんだろうなぁ。出家の女性の衣裳は地味だから、まわりで華やかに、というような気配りであったりするのではないだろうか。


ベスト2
月光院(将軍家継・7歳の生母、主人公絵島が仕える主人)と幕府の実権をにぎる側用人( )間部(及川光博)は不義(=不倫)をしていて、敵方の動きを察知した間部は、大奥に行くのをやめる(あれ? 幼い将軍の付き添いということでも側用人は大奥に行けたんだっけ? 「将軍以外は男子禁制」のはずですが)。
月光院は恋患いで床に伏し、ある夜、部屋を抜け出しお鈴の廊下の先にある鍵(金色のおっきな南京錠>わかりやすい。爆)をこじあけて、大奥から中奥へ。と、おりしも間部が中奥の廊下を歩いていて、月光院はすがりつく。

これでは、誰だってありえね~!とお思いになるのでは。
・寝所の控えの間(部屋)には、夜中だってなんの最中(>こら)だって必ず奥女中が控えているのでは?
・なが~い廊下を走って鍵をガチャガチャいわせる間、一人も人に会わないって、そんなぁ(ま、いいか)
・丑三刻みたいな夜中の中奥の廊下をどうして側用人が歩いているんだよぉ。
というようなことを楽しく突っ込んでいると、そこで女性の嗚咽の声が遠くから聞こえてきました。
ああ、やっぱりね、とも思いましたのん。
と申しますのは、この映画のキャッチは「そこは女の牢獄・・・」でありますが(「大奥」ものとしての新しい視点? 昔は女の権力争いだけをクローズアップしてた?)、それをいちばんよく象徴したシーンですね。

このシーンで泣いた人は一度はかなり強く家庭を捨てたいと思ったことがある、というのがわたしの邪推。一度も離婚したいとか家庭を捨てたいと思ったことがない主婦というのは稀有な存在でありましょうから、その程度によっては嗚咽になるのではないかと思われます。←前置き③へのご返事


ベスト3

絵島が歌舞伎見物している最中に、その劇場(山村座)が火事。火事の原因は極端だが、なかなか複雑な女心がよくでてる(長くなるので割愛しよう)。それはともかく、奥女中の歌舞伎見物のときに火事にするというこのダイタンなアレンジ(--; そして、絵島と生島は手をとりあって、お祭りの中を逃げるのです。
そ、そ、そりゃ、火事もお祭りも江戸の名物ではありましょうが、こんなにいっぺんに盛り上げて、いったいなにをする気だ、とはいうまでもありませんw。一夜の恋につっぱしるわけでございますね。
世話物(
)の王道、「道行」( 意味は(4))現代バージョン、やっぱり出ましたか、と思いながら、このありえね~!設定ににやにやしていたわたし、あらららら、人ごみの中を手をつないで走っている俯瞰のカットで、ふいに、じぃんときちまった(^_^ゞオハズカシイ 
さて、ここでじぃんとなる人は、しがらみを全てふりきって二人だけの世界へ、という行動に憧れる人とか、ま、そのぉ。ほとんどの女性はここでじぃんとくる傾向あると思うよぉん。

ヨーロッパ近代のロマン主義小説と日本の近世の世話物の中の「道行」では日本のほうが過激だけど、根本は同じなんじゃないか。だから、西洋風の恋愛に憧れる人にも受けると思う。そいで、そういう行動に憧れる人は、しがらみだとか抑圧だとかを肌で感じてる人なのかな、親や夫のもとから、この抑圧的な社会からなんつう感じで?


次に、左右の女性が泣いたラストシーンですが、そりゃあ、泣くとかうるうるしちゃうのではないでしょか。わたしも、はいはい泣かせたいところね、とわかりつつ、うるうるしました。
この映画の生島は性悪なホストみたいな感じで、私は好みじゃない(そういう問題か)。人の性格はそう変わらないと思うし、とくに映画では善転wする役柄は善なる部分をわずかに見えるようにしておかないと、観客を納得させられないと思うのだが、この映画はくずれた男が変わったということが十分納得できて、それが深い感動に変わるような話の展開、あるいは人物にはなってなかったように思います。それでも、私はうるうるしたのでありますね。う~む、なんでなんでしょ? 

そういうシーンでは、映画の生島じゃなく、もし自分の愛する男がこうなったら、という方向に心が動いてしまいやすいのだと思います(多くの場合、男性よりも強く?)。あるいは、ちょっと崩れた男が好きな女性は意外に多いのかも。そういう人にとっては、男が私を愛して変わった、なんていうシチュエーションは最高なのでは(わたしゃ、うぬぼれ屋じゃないので、そんな厚かましいことは考えない)。仲間由起恵の絵島とかぎりなく自分のもつ心性がシンクロして、まう泣けて泣けて仕方ない場面なのかもしれません。


はい、では、衣裳、まいります!
ようございました。3年ほど前に見たテレビドラマとは全然違う(その後は傾向が変わったようですが?)
打掛に唐織(からおり )が多くて、色使いも本格派。
これは錦織か金襴で、あれは唐織であるな、なんてチェックしながら見るのはとっても楽しかった。
武士の裃とか長着も、能役者あがりの間部の衣裳はうまくアレンジし、大目付や老中のほうは、きちんと裃(かみしも)柄と熨斗目(
 意味の(2))模様でしたねぇぇ。
なんてことを書くのは、この種(文芸物は別)の時代劇の衣裳に絶望とあきらめ(爆)を感じてたからです。

エンドロールで、衣裳協力先を確認しました。
秀吉の「鳥獣文様陣羽織」(
)やねねの打掛( )を復元した「山口美術織物」が筆頭にあって、なるほど、と納得。

以下、衣裳関係、めっちゃ省略。


長いついでに、ユルシテ! 

「山村座」で絵島が歌舞伎見物するシーンが二度あって、一度は生島新五郎が「保名(やすな) 」を踊ってました。この曲が作曲・上演されたのは絵島事件から約80年後だとか、しょうもないことをいうつもりはなく、そっかぁ、「男の恋狂い」がテーマのこの舞にしたのかぁ、と、にやりとしましたです。二度目は絵島の側に生島がいて、舞台の上では「娘道成寺」でした。こっちは「女の恋狂い」ですねw 

そういう意味ではわかりやすく凝ってるんですが、ここ、わかる人、少ないでしょうね(--;

ただ・・・あの・・・、かなり練習はされたと思うのですが(テレビでよく見る劇中劇の舞踊よりは、はるかに)、やっぱり限界があります。


ながくなりすぎたので、その他、いろいろございますが割愛(^_^ゞドモドモ

なんやかや言っても、すごく東映の時代劇らしいです。

これぞ大衆時代劇! だけんど(だから?)超豪華に! っていうところを、わたしは愛しております。

勃興期の歌舞伎も、こういう感じだったんじゃないかなぁ、なんて。


とにかく、東映が元気でよかった!!! 
ひょっとして、わたしは、そのことに一番感激したかもしんない(x_x)☆\(-_-メ)バキ
松竹も、大映なきあとの角川映画もガンバレ!!! とくに時代劇w


最後までお読みくださって、感謝いたしますm(_ _)m


24日夜、古い友人と1年ぶりに会う。


彼女も私も、「WIFE 」という投稿誌の会員になったのをきっかけに、専業主婦を経てふたたび仕事を始めて20年(あ、言っちゃったw。しかも前職と違って編集やφ(.. )カキカキの世界へ)。


wife 私の再就職?のきっかけを作ってくれた大恩ある「WIFE」(^^v

  これが最新の323号、隔月刊です。

  関西で起こり、東京へ編集部が移って30年(すっげ)

  そのときのコンセプトは、女性の自立を具体的に表現したw

  「食える市民運動」であったとか。

  

  


彼女とはそういう共通点があるし、子供は同年代だし、しゃべるわしゃべるわ(--;

あらら、気が付いたら5時間経っていますた。

にもかかわらず、交差点の手前で(そこで左右にわかれる)まだ立ち話をしてる午前0時(´∀`)

働くオバサンたち(とくに子育て修了者w)には、正々堂々、門限なんかないのだ(x_x)☆\(-_-メ)バキ



追伸

ブログスキンを変えました。前のスキンはネスケに対応してなくて、読めないようです(ネスケのせいであるかどうかは推定です)。

 ホワイトアウト(通常盤)

【ストーリー】 amazonより
最新装備で武装したテロリスト・グループにより、日本最大のダムが襲撃され、占拠される。20万世帯を人質にとった彼らの政府への要求は50億円。ダムの全職員が捕われる中、偶然逃げおおせた富樫(織田裕二)は、仲間と住民を救うため、ただひとりテロリストに立ち向かう…。

話題になった映画だというのに、見逃していました。

雪山版ダイ・ハードという声も読みましたが、「ダイ・ハード」を見てません(^o^;)


この状況が現実であれば、主人公の織田裕二は五回ぐらい死んでるものと思われます(x_x)☆\(-_-メ)バキ

だけど、これだけのハラハラドキドキ度は、邦画ではめっちゃ珍しいのでは? これぞエンタメという感じで、「24」にも劣らないっす(こちらの主人公はダム職員=一般市民ですが)。

事件のトリックもよくできてるし、ヒーローは絶対死なないと思って見られる映画も、わたしは好きですw 雪山の吹雪のシーンも迫力がありました。


Mは、ご都合主義だとか(スナオじゃないなぁ)、見る時間がないとか言いつつ、この映画に引きこまれそうになって、しばらく立ってみながら、意志の力で自室に引き上げたw 


いつか撮りたいと思っていた超インパクトある(--;看板であります。
「ホルモンと平和」という看板です。そして、これが店名らしい。すげぇぞ。


もっと大きな画像じゃないと、迫力がないなぁ。映画の画面とはいわないけど、おっきい看板です。そして、まわりに電球がたくさんついているから、目立つ・・・・・・。

kanban4

いったいこれ、どこにあると思われます?

新宿東口の靖国通り(つまりメインストリート)にあるんです。で、通りの向かいから、とくに夜は、アレハナンダ?というふうに目立って、この文字とこの絵Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン



なんとなくテイストが、東京じゃない感じだ。

それよりなにより、「ホルモンと平和」はどう考えても「戦争と平和」のパロディ、し、し、しかし、この絵はどう見ても「風とともに去りぬ」のレットとスカーレットでありましょう。


去年の秋、靖国通りの向かいから撮ったんですが、看板のまわりの電球ばっかり光っていてボツ。ふと思い出して、この間の日曜は近くに行って見上げて撮ってみました(>ゴクロウサン)。


ついでに、えいやっとお店に入りました。

この看板のお店に入るのは、なかなか勇気がいります。

Mもそれほど乗り気ではないw

でも、店内がどんなふうなのか好奇心がいっぱい。

古いけれどむさくるしくはなく、店員さん同士はハングル語でした。

一部分ですが、壁の下のほうには水色の小さいタイル(古いお風呂みたいな)が張ってあり、壁には東西の名画や映画スターの写真が飾ってありました。

ん~、ということは、あの看板は間違えたんじゃなくて、パロったのか???

そりゃ、そうか・・・・・・。

なんてことを自問自答しつつ、お肉とホルモンの盛り合わせを頼んでみました。

管状の内蔵を焼きながら、「これは食道かな?」とM。

「腸じゃないの?」と、私。

「腸なら突起があるでしょ」「あ、そうか・・・・・・」

あとは全く見当がつかない、部位フメーのままw食しました。


看板がインパクトありすぎるのか(--;;;日曜午後七時ごろでしたが、店内はわりと空いていました。なお、本店は東中野のようですが、本店がこんな看板であるかどうかはわかりません。


以上、超インパクトある看板とその店内、料理のご紹介でした(^o^;)

昨日、歌舞伎町シネシティで、「それでもボクはやってない」(前記事)の列に並んで看板を一望したら、見たい映画がいっぱい!でした。こんなことは、私には珍しい。

シネシティの映画館情報をリンクしとこ< > 



武士の一分   昨年末から見たいと思っていたら、野暮用にも関係ができて。

          公開は2月9日まで、と窓口で聞いてきました。

         火曜夕方、所用の帰りに行くべし。


大奥       やっぱり、見よう。火曜二本が無理なら、水曜の夜か?


ユメ十夜    

1月27日からだけど・・・。夏目漱石「夢十夜」を十人の監督が再現するオムニパス映画だそう。

そそられてます。


プラダを着た悪魔   DVDになってからかな。


マリー・アントワネット  これもDVDになってから、見よう。


硫黄島からの手紙   Mから誘いがあれば、行こうかな。



追伸:

昨日の映画のカンソですが、また付記したり、直したりしました。お暇ならご覧ください。長くて恐縮ですが。

soredemo  ←「それでもボクはやってない 」のパンフ表紙。パンフも充実。

公開2日目の日曜午後、Mに誘われて行ってきました。

新宿歌舞伎町の映画館が並ぶスクエアに、「それでもボクはやってない」の長い行列。立ち見がでてました。


10年ぶりではあるし、ここのところ周防監督は宣伝のためにテレビ出演してるし、「しこふんじゃった」や「Shall we ダンス?」など今までのラインと傾向が違うし、さて、どんなものだろうと、興味津々。


あらすじ(パンフより抜粋)

就職活動中のフリーター・金子徹平(加瀬亮)は、会社面接にむかう満員電車で痴漢に間違えられてしまう。話せばわかってもらえると、駅員に促されるまま事務室へ向かうか、警察官に引き渡されてしまった。警察署の取調べで容疑を否認し無実を主張するが、耳を貸してもらえず逮捕され、留置場に拘留されることに。

徹平の母・豊子(もたいまさこ)、友人・斉藤達雄(山本耕史)らは、弁護士を探し歩いた。引き受けてくれたのは、元裁判官の弁護士・荒川正義(役所広司)と新人女性弁護士・須藤莉子(瀬戸朝香)。須藤は、痴漢事件の担当を嫌がるが、荒川は「痴漢冤罪事件には、日本の刑事裁判の問題点がはっきりとあらわれている」と、須藤にはっぱをかける。

検察庁での担当副検事の取調べでも無実の主張は認められず、徹平は起訴されてしまった。刑事事件で起訴された場合、裁判での有罪率は99.9%といわれている。

傍聴席には豊子と達雄、ついに、運命の法廷が始まった。



あらすじを詳しく書いたのは、ほかでもありません。非常にきちんとよくできた脚本だな、と思ったからです。よい映画でした。


いつもの星(5つ★満点 ☆は1/2)は

M ★★★★

私 ★★★★☆



「Shall we ダンス?」は、日本の中年男性にとって妻はその程度の存在なのか、とか、妻があんなに添え物でいるはずがないだろ、あるいは、日本人男性の若い女性好みがまざまざと、みたいな感じで(そりゃ、相手が草刈民代なら、妻も夫の憧れを認めるっきゃないかもしんないが 爆)、私はハリウッド版のほうが好きだし、よくできてると思ってる。(過去記事はココ

あの映画に対する違和感、わりきれなさは、今度の映画には全くなかったのでした。ま、そりゃ、主人公は独身ですから妻はでてきませんけど、そういう意味じゃなくって、ストーリーとか人物設定とか場面展開に全く不自然なところがないと感じた、ということであります。


最近?の社会派的な映画では「誰も知らない」を思い出しましたが、わたしはその映画を評価してません。主人公の男の子の眼力とかYuuがよかったとかには同意しますが。なんでかっていうと、子育て経験者からすれば、ありえねぇ~ってところがあちこちに。社会派の映画を作っているという制作側のリキミみたいなものも画面から漂ってきて、ちょっとクサクない?と思ったのでした(過去記事はココ ) そういう不要なアクが、この映画にないのがよい。


以下、出演者中心の話ですが、ネタバレっぽいので、白抜きにしました。

反転するときは、左クリックしたままズズズズ・・・と、引っ張ってください(なんつう表現、よけいなお世話)


まず私など、最初からもたいまさこの母親に感情移入しちゃいました。だって、息子がいるもの。裁判で、母親がわっと泣き出すシーンがあるのですが、そこで(実はそこだけじゃなくって)、わたくし、もらい泣きしました(^o^;)  過不足なく(最上の誉め言葉のつもり)うまいですねぇぇぇ。

新人の女性弁護士が痴漢行為を働いた男性を弁護したくない、という気持ちもわかるし、そういう設定も欠かせないところではないかと。

役所広司の弁護士、非常によかったです。この役者さんの達者さはよく知っていますが、この映画では達者という以上のものを見たような気がしました。

脚本を五度書いたという監督は、当初、役所広司を主人公にと考えていたが、「日本の裁判」に焦点を当てた作品を作りたかったので、家族の心情など問題が拡散することを避けるために独身のフリーター男性を主人公にしたらしいのですが、私はこの弁護士の役ははまり役なんじゃないかと思いました。また、周防監督→「Shall we ダンス?」→役所広司というイメージから遠ざかるためにも、このほうがよかったのではないか、と。

主人公役の加瀬亮、友人役の山本耕史も、それぞれの役が地なのか(気が弱そうな主人公と、やるときはやる友人)と思うぐらい、いい雰囲気。

アパートの管理人役でワンシーンだけ出演の竹中直人は、この映画で声をだして笑わせる役? 映画館全体が、そのとき(笑)になりましたもん。


映画館から出て、M曰く「この映画、受けるかな」というので、「どうして?」と聞いたら、「Shall we ダンス?」のように花のある映画じゃなく、真面目な地味な映画だから、というようなことでした。

「あなたの評価は?」と尋ねたら、上のように星4つとのこと。

なら、それはそれでよいのではないか、と私は思いました。

「受けるための映画ではない」と、覚悟を決めて作っているような気がしたので。


主旨どおり、裁判シーンが多いのですが、少しも退屈ではない。

ある種のテレビドラマのようにあざとくもないのが、よかった。

私の☆の-0.5は、映画の出来不出来というより、★5つは超傑作にしかつけないからです。


以下、個人的な、うんたらくたらなので、白抜きにしました(爆)


最後近くのシーンを見ながら、松本清張の短篇や、黒澤明の「羅生門」を思い出していました。

松本清張の短篇は、文庫本『真贋の森』に掲載されていた記憶(少しあやふや)がある小説で題名が思い出せないのですが、殺人で無実を主張して無罪判決のあと、弁護士が真実に気づく、というストーリーだったと思います。

清張の小説は弁護士側の問題、こちらは裁判官側の問題と相反する状況(パンフを読むと、あるシーンによって被告が無実であるという側面からだけで作っていない、真実は藪の中という側面をもたせているようですが、普通に見ると、まぎれもなく冤罪)のフィクションが、自分の身近にあるのは好ましいことではないかと。
そういえば、2009年から裁判員制度が実施されるな、なんてことも。なんでも当たったことがないので当たらないとは思うけど(これ、当たったら、しんどいよ、大変だよと思う)、国民が裁判に対する興味をもっともたなければならない時期なんだな、とも思ったりしていました。



もうひとつ、裁判官の判決文が非常に論理的(当たり前)だったので、こんなことを思いました。
論理至上主義というか、論理的であることが客観的であることと同義語のように使われる傾向に対して、わたしは常々、ちがうだろ!と思っているんですが、この判決シーンが論理に対する反発のような感情を誘発する土壌をもっているのではないかと。こういう危うさに製作者は気がついていて、元裁判官の弁護士に、裁判官の立場を母親や友人への説明と言う形でしゃべらせていると思うのですが。でも、一瞬、思いましたね。ふん、これが論理の正体だ、と(^o^;) 

そして、しばらくして思い返したのでした。

「論理とハサミも使いよう」なんだよね、わたしがこれ以上論理を捨ててどうする(爆)。


それはともかく・・・、

裁判についてよく知らないシロートに、論と情のバランスが取れた非常に受け入れやすいスタイルで興味をもたせ、問題を提示した映画だと思います。でも、そういうの抜きに上質のエンタメなのだ。

「日本の裁判」にも一石を投じるほどの評判になればよいな、と思ったのでした。


なんというスナオなカンソ(^o^;) 自分でツッコミいれたくなるような(;¬_¬)