今回視聴したのは、2005年の「ミュンヘン」で、アマプラにて拝見しました。
この映画冒頭で、「真実を基にした物語」と表記されますが、原作があり、それを基にしているようです。
背景として、イギリスの三枚舌外交により、ユダヤ人たちはパレスチナ民ともめにもめている状況があり、そんな中、1972年の西ドイツで開催されたミュンヘンオリンピックにおいて、パレスチナのテロ組織 ”黒い9月” によってテロ事件が発生します。
テロメンバーは、イスラエル選手11名を人質に取り、「イスラエルのアラブ人政治犯200人を釈放せよ、さもなくば人質を殺害する」「世界の革命分子よ団結せよ」といった要求とメッセージを発します。
結局、イスラエル人11人はテロ犯に全員殺され、テロ犯も西ドイツ警察によってほぼ殺されました。
その後、イスラエルでは報復処置として、シリアやレバノンを空爆し200人からの人を殺します。
そしてイスラエル政府首脳が集まりさらなる報復をすることを決めますが、その理由として第二次世界大戦でユダヤ人の虐殺指揮をしたアイヒマンを題材に出し、彼ら(パレスチナ)が我々と共存したくないなら、我々も共存する義務はない、我々は再び攻撃され虐殺された、しかもドイツの地でユダヤ人が殺されたのに世界は気にしていない、世界に知らしめる報復は合法的だと言い放ち、モサド(イスラエル諜報特務庁)からメンバーを招集しました。
リーダーは主人公のアヴナー、その他にスティーヴ、ロバート、カール、ハンスが招集され、それぞれ車、爆弾、文書偽造、掃除屋など特技があり、そして作戦名は、”神の怒り作戦”と名付けられ、パレスチナのターゲット11人を暗殺することになりました。
ただこの作戦にはルールがあり、作戦執行に必要なお金はチームに支給するが、絶対に領収書をもらうこと、ケガしても医療保険適応外であること、そしてアラブ地域には踏み込まず、ヨーロッパ地域で作戦実行すること、イスラエルの仕業と悟られないこと、自分たちの存在を抹消し、存在しない人としてチーム単独で行動し作戦を実施することでした。
まるで昭和時代劇「隠密同心」の「我が命我が物と思わず、武門の儀、あくまで陰にて、己の器量伏し、ご下命いかにても果すべし。 なお死して屍拾う者なし! 死して屍拾う者なし!!」を思い起こさせます。
ほんでここからの展開としては、この作戦の執行がメインで描かれ、そこにミュンヘンオリンピックでのテロ再現シーンがちょいちょい挟み込まれ、更には赤ちゃんや子供といった弱きものを随所に登場させながら進みます。
最初はイタリアで作戦実行し、そこからフランスの情報屋を頼りに、次々と作戦を実施していきます。
初っ端は初々しい感じで作戦を実施し暗殺を成功させますが、やがてベテラン感が出てきて、と同時に徐々に疑心暗鬼になってゆきます。
というのも、当初はこのチームだけで作戦を実施していましたが、途中、本国から横やりが入り、ヨーロッパ地区ではなくアラブ地区での作戦を軍と一緒に実施したことにより、国の介入を認めない情報屋の機嫌を損ねたからです。
機嫌を損ねた情報屋の情報は、本当にこのまま信じてもいいのか?
そんな中でギリシャで仕事の時、情報屋に斡旋してもらったアジトで、ターゲットではない下っ端PLO(パレスチナ解放戦線)メンバーに出くわしてしまいます。
取り合えずこちらはETA(フランスとスペインにまたがるバスク地方の独立を目指す組織)だと誤魔化したところ、一応、どちらもターゲット同士ではないし、無駄な闘いは避けたかったため事なきを得ますが、お互い同じアジトを使う手前、仲良く時を過ごします。
そこで主人公はPLOメンバーから「アラブ諸国はパレスチナのために対イスラエルで決起し、アラブ諸国はパレスチナ人よりユダヤ人が嫌いなので、エジプトやシリアがイスラエルを攻撃しても世界は助けないのでイスラエルは消滅する」と言われます。
これに対し主人公は「そんなのは夢物語だ、パレスチナはイスラエルから土地を取り戻すことなどできない、パレスチナは国家を夢見て難民キャンプで死んでしまう」と言い返します。
そしてPLOメンバーは「子や孫の代までたとえ永遠でも待つ、必要なら全世界のユダヤ人を脅かす」とうそぶきます。
ここで主人公は「お前ら野蛮人かよ」と突っ込み、「俺たちを野蛮人にしたのはイスラエルだ」とPLOもやり返します。
何となく仲良くケンカしなといった口論が展開され、締めに主人公がこう問いかけます。
「あんな土地に本当に戻りたいのか? 子孫を残したいのか?」
PLOメンバーは、ちょっと困った顔をしますが、「ユダヤ人は何年かけて国を手にしたか?」と質問します。
「たくさんの時間をかけて国を手に入れた」と答える主人公、それに対し、「国のない悲しみは、欧州のETAには分からない、だってお前たちには帰るべき国がある、俺たちには他の国の革命などどうでもいい、国家を樹立したい、祖国こそ命」と答えます。
これこそがこの作品で言いたいことなのだと思います。
なんというか、相手がなぜ戦っているかと言うと、実は同じ理由だったという事で、ただの報復合戦ではなかったのです。
そしてお互い任務に戻るのですが、次なる任務でまた鉢合わせしてしまいます。
何とか任務は成功しますが、あまりうまくいったとは言えない状況であり、しかもメンバー内でショッキングなことが分かり、妙に怒髪天するメンバーや、気落ちするメンバーも出始め、チームが不安定になり、やがて逆にこちらが暗殺のターゲットになって狙われ始めます。
実は信用していた情報屋は、当然ながら情報屋なので別の客にも情報を売っており、そうなるとこちらの情報が敵対組織にも知られることになるという訳で、ますます疑心暗鬼になってしまいます。
その後、ロンドンやオランダへ行きいろいろありましたが、メンバーの5人中3人が死んでしまい、最大の目標であった黒い9月の創始者サラメの暗殺に失敗したところでイスラエルに戻ることにします。
戻った主人公は英雄だと称えられますが、存在しない人のため表立っての賛辞ではなく、それどころか情報屋の詳細を報告しろだとか、休養後はまた暗殺の仕事しろだとか、従わないなら軍法会議にかけると言われる始末。
疲れた果てた主人公は母に会い、母から過去のユダヤ人虐殺から生き残りイスラエルに来て、主人公を希望の子として産んだと聞かされます。
母曰く、主人公がしたことは「みんなのためで、人々は国を求めて死んでいき、やがてこの国を手に入れ、神は祈りを聞き入れてくれた」と言いますが、主人公はここでハッとします。
それは、自分が今回の作戦で何をしてきたのか、そして先人たちも同様にそうやって国を手に入れたという事を自覚した瞬間だったのです。
なぜこの作品では子供や赤ちゃんのシーンがちょいちょい登場したのかと言うと、国の誕生のためにお互いに殺し殺されをしている対比として、生として赤ちゃんの誕生を感じさせるためであり、また主人公がこれから育てるのは呪われた国ではなく、自分の子供であり、生身の人間なのだと言わんがためでした。
そして主人公はイスラエルを出てアメリカへ行き、そこで嫁と娘の3人で暮らし始めます。
しかし、今度は自分が国から殺される番ではないかと恐れながら生きていくことになります。
それはミュンヘン事件でテロ犯がどうなったのかを知っていたからであり、相手から見たらこっちもテロ犯であり、テロ犯の行きつく先は死であり、それは身内のユダヤ人から見ても秘密を知られている手前、同様のことでもあるからです。
最後に上司がアメリカまで来て、もう一度勧誘されるシーンがあり、そこで主人公はあの作戦では「殺すのではなく逮捕すべきだった」と言います。
上司は「あの暗殺対象の11人が生きていればイスラエルは死ぬ」と言い、さらに「殺しても殺しても後継者が引き継ぐのでそれすらも殺しまくらなくてはいけない」と言い張ります。
それに対し主人公の下した決断として、「こんなことの先に平和はない、それが真実だ」と言い返し、それでも「祖国に帰れ」という上司に「あなたは遠方から来たお客さんだ」、つまりもう身内ではないと遠回しに言い、”最後の晩餐”を提案します。
これに対し、お互いに背を向けて、お互いに立ち去るのがラストシーンになりますが、スピルバーグ監督は、結局殺し合いの先に平和はなく、復讐は不正義で倫理ではない、この方法では時は解決してくれない、と言いたかったのではと思います。
ユダヤ人でユダヤ教徒であるスピルバーグ監督は、ユダヤの過去を振り返り、この作品で遠回しに、これ以上のお互いの暴力に意味はなく、未来に向けて暴力を反対をしているのだと思われます。
確かに太平洋戦争に負けたが故に平和を勝ち取った日本人から見て、その通りな作品なのでした。
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