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モノ、形の時代から、心の時代に入っています。
環境大変化の時代、世の中が大きく変わる。
誰もが世に役立つ運命を持っている、それを見つけて
まず家族の為、そして、社会のために生きる。
シンプルですが大切なことです。
このブログ、「希望の持てる日本社会に」にとしました。
日本には素敵な「和の心」があります、利他の心で、
奉仕の心で対応すること、すると、周り回って自分に
返ってくるのです、求めるのでなく自然となんです。
地球を救うのは利他の心、バックミンスターフラー
利他の心とは、バックミンスター・フラーという人物が提唱した、
自分の利益だけでなく他者や社会の利益も考える心のことです。
バックミンスター・フラー
1927年、一人の若者が冷たい湖に身を投げようとしていた。
バックミンスターフラー、32歳、ハーバード大学を二度退学、
事業に失敗し人生に失望していた。その時、ある考えが浮かび、
自殺を思いとどまった。「自分のためには生きず、今までの経験を
他の人々のために使うんだ、他の人々を助けるんだ。」まさしく
利他の心、これによって、彼の才能が開花したのです。
発明家として、建築家として、思想家として、1983年亡くなるまで
多くの人々に多くの影響を与えました。
建築家 バックミンスター・フラーの略歴
建築家 バックミンスター・フラーは、1895年に米国のマサチューセッ
ツ州で生まれました。
バックミンスター・フラーは、建築家、作家、思想家、デザイナーなど
多彩な肩書きで知られています。新しい言葉を作ったり、「Spaceship
Earth(宇宙船地球号)」、「Dymaxion(ダイマクシオン)」、あま
り知られていなかった「エフェメラル」、「シナジェティクス」、「テ
ンセグリティ」という言葉を普及させ、30冊以上の本を出版しました。
バックミンスターは、珍しいミドルネームで、祖先の姓でした。様々な
署名を試して、R.バックミンスターフラーと名前を書くようになったそ
うです。
フラーは若い頃の多くを、メーン州沖のペノブスコット湾にあるベア島
で過ごしました。彼はしばしば森で見つけた材料から彼自身の道具を作
りました。また、小型ボートの新しい装置の設計を試みました。なんと
12歳に手漕ぎボートを推進する「プッシュプル」システムを発明したそ
うです。
数年後、彼はこの種の経験が、デザイン、プロジェクトが必要とする材
料、知識の獲得方法に重要な習慣も与えたと指摘しています。フラーは
機械工の資格を取得し、プレスブレーキ、ストレッチプレス、および板
金で使用される機器の使用方法を知っていました。
フラーはマサチューセッツ州のミルトンアカデミーに通い、その後ハー
バード大学で学びます。フラーはハーバードから2度退学しています。
フラーはカナダで繊維工場の整備士として働き、後に食肉包装業界の労
働者として働きました。また、第一次世界大戦中の米海軍で、船上無線
通信士、出版編集者、レスキューボートUSSの司令官を務めました。
除隊後、食肉包装業界で再び働き、経営経験を積みます。 1917年に
結婚し1920年代初頭にフラーと義父は、軽量、耐候性、耐火性の住
宅を製造するための会社を作ります。
彼の娘のアレクサンドラは、1922年にポリオと脊髄性髄膜炎の合併
症で亡くなりました。4歳の誕生日の直前でした。フラーは娘の死を、
湿った状況の生活条件に関係しているのではないかと疑ったそうです。
これが、手頃な価格で効率的な住宅を提供することを目的とした会社
の設立に影響しました。
しかし1927年に破綻してしまいます。バックミンスターフラーは、
1927年が彼の人生にとって極めて重要な年としています。32歳で、
フラーは職を失い貯蓄もなく、また娘のアレグラが誕生したことで
経済的課題もありました。フラーはひどく飲んで、ミシガン湖で自
殺を考えました。家族が生命保険の支払いを受けることができるよ
うにしたそうです。
その時フラーは、彼の人生の方向性と目的を変える神秘的な体験を
したと言っています。それが彼のこれからの人生を大きく変えまし
た。
フラーは、この経験が「一人の個人が世界を変え、すべての人類に
利益をもたらすことに貢献できるものを見つけるための実験」に着
手する要因となったそうです。
後年には多くの公演で聴衆に対して、フラーはミシガン湖での経験
と、それが彼の人生にもたらした変革の影響について語っています。
歴史家は、フラーの神秘体験を、フラー自身のキャリア形成期を要
約するために人生の後半に構築した神話である可能性があること言
っていますが、真実はわかりません。
1927年、フラーは独立することを決意しました。
1928年に、フラーはグリニッチビレッジに住み、人気のカフェ・
ロマニー・マリーズで多くの時間を過ごしました。フラーは食事と
引き換えにカフェの内部を飾る仕事を引き受け、そこで週に数回非
公式の講義を行いました。
