フランクル その543 人間とは何者なのか、思いやりの心を大切に  | 希望の持てる日本社会に 横浜村塾 by 愛の経営参謀

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人生は経営、そして、企業経営も根っこは同じ、
人生の真理を求めて、経営する
すると結果がついてくるのです
世の中のお役に立つことが基本です。
利他の心で、感謝の心で、学んで良き知恵にして行動です。

 

 
 

 

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モノ、形の時代から、心の時代に入っています。
環境大変化の時代、世の中が大きく変わる。

 

誰もが世に役立つ運命を持っている、それを見つけて

まず家族の為、そして、社会のために生きる。

シンプルですが大切なことです。

 

このブログ、「希望の持てる日本社会に」にとしました。

 

日本には素敵な「和の心」があります、利他の心で、

奉仕の心で対応すること、すると、周り回って自分に

返ってくるのです、求めるのでなく自然となんです。



四季のある日本、
日本に生まれて感謝です。
世界中で最も多く読まれている本、
そのベスト10に入る、
その題名は「夜と霧」、
フランクル氏との出会い、
何とも素晴らしいです。
強制収容所の劣悪な環境で生き延びたフランクル氏、
どんな状況でも未来を信じて、前向きに生きる。

今日の出会いは、

「人間とは何者なのか、思いやりの心を大切に」です。

フランクル その543

 ●「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめ
に制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた」
 
●「人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、
善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使
で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ。事実はそうで
なかった」(監視者の中にも人間的に被収容者を扱ってくれた人はいたという事実を
さして)
●「現場監督がある日、小さなパンをそっとくれたのだ。……あのとき、わたしに涙
をぼろぼろこぼさせたのは、パンという物ではなかった。それは、あのときこの男が
私にしめした人間らしさだった。そして、パンを差し出しながらわたしにかけた人間
らしい言葉、そして人間らしいまなざしだった……。」
 
●「わたしたちは、おそらくどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、
この人間とはなにものか。……人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガ
ス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあるのだ。」
なぜ人は、同じ人間に対してそのような「残酷な」もしくは「情け容赦ない」行動が
とれるのか。人間の「品位」とは、「モラル」とは何か。著者の見解は、平和な社会
に生きる私にとっても大いに示唆に富むものでした。究極の状況であぶりだされる自
分の本性はどのようなものなのか。常に自分の見えない「本性」を疑い、意識しなが
ら生活しようと、改めて思わされました。