フランクル その541 それでも人生に対してイエスという | 希望の持てる日本社会に 横浜村塾 by 愛の経営参謀

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人生は経営、そして、企業経営も根っこは同じ、
人生の真理を求めて、経営する
すると結果がついてくるのです
世の中のお役に立つことが基本です。
利他の心で、感謝の心で、学んで良き知恵にして行動です。

 

 

 

 

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モノ、形の時代から、心の時代に入っています。
環境大変化の時代、世の中が大きく変わる。

 

誰もが世に役立つ運命を持っている、それを見つけて

まず家族の為、そして、社会のために生きる。

シンプルですが大切なことです。

 

このブログ、「希望の持てる日本社会に」にとしました。

 

日本には素敵な「和の心」があります、利他の心で、

奉仕の心で対応すること、すると、周り回って自分に

返ってくるのです、求めるのでなく自然となんです。




四季のある日本、
日本に生まれて感謝です。
世界中で最も多く読まれている本、
そのベスト10に入る、
その題名は「夜と霧」、
フランクル氏との出会い、
何とも素晴らしいです。
強制収容所の劣悪な環境で生き延びたフランクル氏、
どんな状況でも未来を信じて、前向きに生きる。

今日の出会いは、

 

フランクル その541
 

「それでも人生に対してイエスという」です。
 

フランクルは一貫して人生肯定的世界観を唱えています。

フランクルは心身症の患者に対して、どんな人生にも意味があり、

一人ひとりがそれぞれ、大切な人間なのだという、自己肯定的、

人生肯定的世界観を訴えかけ続けてきました。

 

人は基本的に「幸せであるという価値観」で生きなければ幸せではないのです。

この 「幸せであるという価値観」 を育てるものが、「人生肯定的世界観」なのです。

フランクルの著作に「それでも人生に対してイエスという」ものがありますが、

この言葉こそ究極の人生肯定的世界観なのです。

 

それでも人生に対してイエスという」 という言葉は、ブーヘンヴァルト収容所の

囚人たちが、作った歌の中で歌われたものなのです。

この歌は、ただ歌っただけではなく実際の行動においても 、それでも人生に対して

イエスと言って、収容所生活を生き抜いてきたのでした 。しかも、多くの収容者が

行動に移すことができたのです。

 

今現在、強制収容所というものはありませんが、この比較的平和で、まだましな現代

において、 「それでも人生に対してイエスという」 ことは無理な言葉ではないと思

わないでしょうか?

この「それでも人生に対してイエスという」 言葉の中には、様々な意味が凝縮され

ていますが、結局は人間の人生とは、どのような人生であろうと意味があるという

信念において成り立っている言葉なのです。