告別式の帰りに、劇団のけいこ場にお邪魔した。
元ボーリング場を改装したけいこ場は、真っ暗だった。
明かりをつけると、前日までやっていたけいこの息吹が残っていた。
何処からともなく、石塚さんのダメ出しの声が響いてきた。
先日劇団ふるさときゃらばんの主宰・劇作家・演出の石塚克彦のおじさんが亡くなった。
前日までけいこ場でダメ出しをして、当日も向かう矢先だった。
告別式では、突然の訃報に集まった参列者が呆然としていた。
本当に突然だったのだ。
そして、あちこちから「心残りだろうな」「まだまだやりたいことあっただろうな」との声が、挨拶のように聞こえていた。
私は、石塚さんの顔を見て、ふと、私の書いた小説「生きて、生き抜き候」の冒頭部分が浮かんだ。
実はこの部分は、石塚さんと打ち合わせ飲み会で、雑談話に私が今書いている小説の話をしたときのことだった。
侍の本文は「死することではなく、生き抜くこと」だったんですよね。と話したらサングラスの奥からニヤリとした目で「そりゃおもしろいね」といってくれた。
その冒頭部分が、お葬式から始まるという設定も「おもしろいね」と言ってくれた。
「生きて生き抜き候」のイントロダクション
親友の一馬が亡くなった。
お互い東北の小藩福島板倉藩に生まれ、幕末の混乱を生き抜き、そして、生き別れ、明治になり消息が分かった親友だった。
一馬の葬式に向かう汽車の中で私は人生について考えた。
「一馬は死ぬ時、微笑んだだろうか」。
人生の価値は、簡単に憶測することはできない。
人によっては、笑顔で死ねればそれでいいというだろうし、家族と孫の数だという人もいる。
社長になれたから満足だという人もいるだろうし、日々平穏に過ごせれば幸せな人もいる。
私にとっての人生の価値は、こころを通わすことができた親友がいたかどうかだと思っている。
その親友が同い年で身罷ったのだ。
雲一つない青空の日だったが、私の目は涙で曇っていた。
ただ、お葬式の席で「まだまだ人生の半分だったのに、悔しかったろう」とささやかれていたことに同意はしない。
これだけははっきりと言える。
一馬の人生は、ここに列席している誰よりも有意義であり、混乱の幕末を命を懸けて生き抜いてきた価値
ある人生だったと思うからである。
最後の別れで「一馬と私は、生き別れていた時も親友であり、そして、後で追いかける天国でも親友で有り続ける」と誓ったのだった。・・・・・・・・・・。
石塚さんの56年の演劇人生はどうだったろう・・と、けいこ場で思った。
同志も、親友も、出会いも、いっぱい持てた人生だったんだろうな。
けいこ場に石塚さんのその情熱が漁火のようについたり消えたりしていた。
もちろん、山あり谷ありで苦労も多かっただろうけど、「そりゃおもしろいね」の言葉に象徴されるように、前に前に人の生き方に興味を持ち続けた人だった。
私のさまざまな異業種の仕事の話を聞いては「そりゃおもしろいね」といって喜んでくれた。
そして、「今の時代を映すのが舞台だ」と強いこだわりを持っていた。
だから、農村ミュージカルの時も、サラリーマンミュージカルの時も、徹底して現場の取材にこだわった。
一万人に話を聞いて作品を創った。
全国で上演すると「よくぞ、描いてくれた」「身につまされる」「うちもそうだ」・・と共感の嵐だった。
公演終了後には、みんな目頭が熱くなり、そして、「明日からがんばるかぁ」と顔をあげて帰っていった。
人生を鏡のように映し出す舞台を、日本式のミュージカルに作った人だった。
だから、役者さんへの要求も高いレベルだった。
うまい演技は当たり前で、そこに人生を感じさせないとダメ出しがとんだ。
厳しいダメだして、ふるきゃらの役者さんは、人生の喜怒哀楽を見事に表現できる日本一の舞台俳優さんたちの集団に育っていった。
弔辞の中で、劇団の女優さんが語っていた。
「愛のあるダメ出しをする人だった」「お前ならできる、信じている、だからダメ出しする」
そして、いい演技ができると「それ、いいね、できたじゃないか」と自分のことのように褒めてくれた。
本当に、人間が好きで好きでたまんないそんな人だった。
一人一人の心に石塚さんの心が永遠に残っていくと思うのです。
最新作「風そより」~それでも生きている街~
冒頭の石塚さんの想いがこもったメッセージです。
いまの日本には
消滅可能な市町村が840もあるという。
消滅可能な地域というのは人口がどんどん減って、
自治体として成りたたなくなってしまうことだ。
そうした街の中心街・駅前通りも、
一軒、また一軒と歯抜けのように
シャッターをおろしてゆく。
駅前通りが淋しくなると、その街全体が
しょぼくれているように見えてしまう。
だからせめて、駅前通りは突張って
元気な振りをしなければならない。
それは、そうした自治体の首長の務めでもある。
そんな消滅可能な街にくらす人々を、
陽気なミュージカルに仕立て、上演するのが
"ふるきゃら"の勤めだとも考えている。
人々は、どんな逆境にあっても、
陽気にくらしている。
生きているということは、
陽気にくらすということかも知れない。
そんな舞台がつくれたらいいなァ。作・演出 石塚克彦
告別式では、全員でふるさときゃらばんの代表曲を歌って送り出した。
♪おまえがいて 俺がいて 遠くの町に友だちがいる
生きているのさ この町
私たちの町 俺たちの町♪
(劇中歌「生きてゆくさこの町」より作詞・石塚克彦/作曲・寺本建雄)
石塚克彦さんプロフィール
1937年、栃木県烏山町(現・那須烏山市)生まれ。武蔵野美術学校洋画科。古美術研究で奈良に遊学。平城京発掘に参加。シナリオライター山形雄策氏に師事。ミュージカル体験塾・演出。日本劇作家協会会員。85年、「ふるさときゃらばん」脚本・演出・美術プランナーとして「ふるさときゃらばん」第1作、ミュージカル『親父と嫁さん』を上演、文化庁芸術祭賞を授賞。87年、第3回日本舞台芸術家組合賞を受賞。91年、日米合作ミュージカルのメインライターとして「LABOR OF LAVE」を上演、日米両国ツアー、バルセロナオリンピック芸術祭に招聘される。99年、「棚田学会」を設立。棚田学会副会長。棚田連絡協議会理事。2000年、東京芸術劇場ミュージカル月間にて最優秀賞を受賞。03年、映画「走れ!ケッタマシン~ウェディング狂想曲~」で初監督。現在、「MUSICAL COMPANY株式会社チーム石塚・新生ふるきゃら」代表。
合掌。 内村
この映像の中に演技指導している石塚さんがいっぱい出ています。
ふるきゃらMUSICALドリーム工場・東北のプレタポルテ
https://www.youtube.com/watch?v=UIzHNTjCy2M