さて、いよいよ葛西臨海水族園の建築的考察しますよ。

 

これまで、水族館の歴史やいろいろな水族館を見てきて、

そして、水族館王のケンブリッジセブンの作品を見てきて、

特に、海遊館を見てきて、

 

あらためて、葛西臨海水族園を見ると、特に上から建築を見ると

 

ちょっとびっくりするわけです。

 

この、周囲には緑と海しかない、

 

あまりに何もなさに…

 

 

上からみると…水盤とガラスのドーム以外はなにもない。

 

なのに、圧倒的なこのインスタ映え

 

 

 

 

これはですね、なんにもないんじゃなくて、

 

 

空がある

 

そして

 

海がある

 

そのことを

 

気付かせようとしているんです。

 

 

 

私の好きな、ランボーの詩の一片に次のようなフレーズがありますが、

 

見つけたぞ!

永遠を

海と溶け合う太陽を

 

これは、地中海の光景といわれているんですけど、

まさにその詩が浮かぶような、そういう場所を人工的作りだしている。

 

 

水族館なのに

 

どうやって、それを実現しているのかというと…

 

以前も解説しましたが、建物機能が全部水盤の下に埋めてある。

 

 

どんな断面図かというと…

 

 

 

こんな形状です。

 

 

そして、平面図はこうなっています。

我々が、地面と思っている1階、実は屋上部分。

ガラスドームのエスカレーターを下りて行った最初のフロア。
目の前を鮫が泳いでいるところです。
そして振り返るとマグロの水槽が下の階から吹き抜けの中に浮かび上がる。
 

そして、マグロ水槽や世界の海につながって、
ペンギンプールのある外庭に出るフロアです。

 

えっ?こんだけ?

もっと、何階建てかになってなかった?

いろいろなスペースを歩かされたと思っていたのに…

葛西臨海水族園に行ったことのある人はきっとそう思うに違いありません。

 

また、大きさをイメージできない人のために、東京ドームと比較してみました。

葛西臨海水族園は直径100mといわれていますので…東京ドームの両翼と同じです。
 

思った以上に小さいんですね。

むしろ、よくこの大きさであそこまで空間の広さというか奥深さを表現できているな…と思いましたよ。

 

ついでに、築地市場と葛西臨海水族園の大きさも比較しておきましょうか…

ね、葛西の小さなと築地のデカさがわかりますよね。

と同時に、こんなんだったら築地市場内にも水族館をつくればよかったのに…
そうしたら世界的にすごい水族館になったでしょうね。

 

ま、それはさておき、この葛西臨海水族園の計画を分析していきましょうか。

 

まずですね、この建築のもっともすごいところ、特徴ともいっていい、発明的なところ

それは、もちろんあの有名な特徴的な、インスタ映えする特徴的なデザインのとこ。

しかし、あのガラスドームには何も入っていないんです。

 

むしろなくても水族館は成立するんです。
機能だけなら。

このとおり。

水族館機能はすべて下部に収まっているから、上部構造はいらないんです。

合理的に考えれば…、機能主義ならば…。

 

私のブログで何度か、近代建築についての解説してきました。

いわゆるモダニズム建築について。

モダニズム建築というのは20世紀になって、科学技術の時代になり、移動する機械や生産する機械が発明され、

それらがもつ機能的なデザイン、無駄のない構成、数学的処理、幾何学的処理、大量生産といった産業の美学を、

建築にも取り入れていったものなんですね。

 

だから、モダニズム建築というものも、無駄なのない、機能的なデザインが追及されており、現在に至ります。

有名な言葉に、アドルフ・ロースの「装飾は罪である」、ル・コルビュジェの「形態は機能に従う」、ミースの「レス・イズ・モア」。

そのようなテーゼが掲げられた時代の延長線上に我々はいます。

 

なので、現在の建築デザインも基本的には、ロース、コルビュジェ、ミースの頃のテーマからは逸脱していないんです。

 

機能をもった空間、機能をもった形、機能性をデザインする。

 

それが

 

 

この葛西臨海水族園では、機能のないガラスドームがデザインされており、それがあるからこそこの建築が成り立っている。

不思議でしょう?このドームはなくても水族館は成り立っているんですよ。
なのに、このドームを消してみると、上の絵のように、葛西臨海水族園ではなくなってしまう。

 

同時に、平面図の方でこのドームを確認してみますが

 

全体の面積の極々一部でしかない。

最上階だけで比較しても4%分、下の2階や1階を合わせると、その面積配分は1.3%しかないんです。

 

以前、伊東豊雄さんの建築分析で、ほとんど何も建築デザインできない状況なのに全体の1%で作品にもっていく、

というのを分析しましたよね。

新国立競技場のもう1つの可能性。ケンチクボカン伊東豊雄③

 

谷口吉生さんの葛西臨海水族園はさらにその上を行っている、葛西臨海水族園全体ではこの建物の数倍の面積があるわけですから、

この1.3%のガラスドームの存在は0.01%ほどでしかない。

 

なのに!

 

葛西臨海水族園そのものを表している。

キャラクター付けている。

 

この象徴性、0.01%が全体を支配している。

意識化で1万倍に広がっているんです。

 

この場所の全体性から放たれたオーラのごときもの、

この場所で唯一無二で不可分のものと化しているんです。

 

しかも、難しい芸術理論とか、磯崎新さんの建築作品のような専門的な知識を弄して、

事前学習やコンテキストありきで、初めて理解できるかもしれないとかいったものではありません。

 

誰でも、わかる。

綺麗だなと。

凄いなと。

で、ここへ来たなと。

 

 

 

これはねえ、近代建築ではないですよ。

モダニズム建築ではないね。

少なくともいわゆる機能性ではない。

 

 

 

これを思い出しました。

ウィーン分離派です。

 


▲ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ 設計のセセッション館

 

また、それより100年前の人で、建たない建築を構想し続けた、幻想の建築家、ブーレー。

 


▲エティエンヌ・ルイ・ブーレー ニュートン記念堂

いずれもですね。

なにかの世界観、高い精神性を表そうとしたものでです。

本来、建築にはですね道具としての機能とか何かの役に立つといった現世利益的側面だけではなく、

このような、精神の高みを、そのまま体験としてもたらす力、崇高性を感じさせることこそが重要だったんですね。

 

こういう仕事ができている建築家って、今、本当に少ないんです。

 

もう、日本には谷口吉生さんだけだと言ってもいい。

 

それくらい、貴重な存在なんです。

 

15につづく