谷口吉生さんの京都国立博物館を見てきましたよ。

昨年の9月に開館していましたが、なかなか行くことができず、やっと行ってきました。
既に多くの方々がその素晴らしさをいろいろなところでおっしゃっていますよね。

谷口先生といえば、そのシャープに研ぎ澄まされた建築のエッジ、素材が石だろうが金属だろうが、木だろうがガラスだろうが、その面をピシーッと合わせて、本物の素材で厚みも質感も重厚にギッシリ詰まっているはずなのに、何か厚み数ミクロンの画像テクスチャーを貼りつけたみたいな、非現実的な魔術的な仕上げのサーフェスに毎度驚かされるわけなのですが、、、

今回も凄いですよ~。

冬でしたから芝は枯れていますが、黒松の向こうに見えるベージュの板。
「あ~!谷口さんが、暖色つかってる!」です。


昨年、何かの写真でチラっとみたときにも「えっ!暖色?」と思ってたのですが、行くまですっかり忘れてたんですよ。

暖色、寒色というのは美術を始めたときに最初に習いますよね。


青い系は冷たく感じる、赤い系は温かく感じるというものです。


自販機のつめた~いあったか~いでもおなじみですが、これは世界中の人類共通なんです。
暖色は交感神経に、寒色は副交感神経に働きかけるという科学的調査もあるそうです。


で、谷口吉生先生は、これまでほぼオール「モノトーン、少し寒色寄り」
グレーに少し青か緑が入った素材に黒、そしてグレー、シルバー。


簡単に色彩構成課題にしてみるとこんな感じ



それなのに、今回はベージュかあ、、


今回、この角度からの写真が数多く紹介されていますから、現地に行ったことないと、これが正面と思っていらっしゃる方が多いと思います。
が、違います。

元々の正面は西向きです。


こんな風に


こんな風にです。



明治28年、片山東熊(かたやま とうくま)という建築家によって設計されました。
この片山東熊さんは、元奇兵隊なんです。
奇兵隊というのは歴史好きで幕末維新マニアであればよく知っていますよね。
奇兵隊とは長州藩の高杉晋作が創った身分によらない有志による部隊です。

高杉は奇兵隊を組織するにあたり、
正兵を「正々堂々衆を以て的に臨み、実を以て実に当る」とし一方、奇兵隊を「寡兵を以て敵衆の虚を衝き、神出鬼没して彼れを悩すもの」「常に奇道を以て勝を制するもの」と定義しています。

維新後に片山は東京帝国大学を経て、東京駅の設計でおなじみの辰野金吾と同様、ジョサイア・コンドルの最初の弟子になりました。
コンドル設計の建物のほとんどは現存していませんが、最近東京丸ビルの近くに三菱一号館が復元されています。

といった、京都国立博物館は幕末から明治にかけての激動の時代に建設されたものです。

この本体に対する、谷口さんの平常展示館は二代目なんです。
初代は、昭和40年(1965年)に森田慶一によって設計されました。


森田慶一は戦前の若手建築家による建築運動「分離派」の創設メンバーの一人でした。


分離派の「宣言」というものがあります。
彼らは今生きていれば、みなさん120歳くらいの仙人の域だと思いますが、全然、今の若手建築家や建築学生よりも爽やかで若々しい感性にあふれていますよ。

宣言

我々は起つ。
過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。

我々は起つ。
過去建築圏内に眠つて居る総てのものを目覚さんために溺れつつある総てのものを救はんがために。

我々は起つ。
我々の此理想の実現のためには我々の総てのものを悦びの中に献げ、倒るるまで、死にまでを期して。

我々一同、右を世界に向つて宣言する。

以上

なんか、100年前の若者たちの方が俺にはしっくりくるなあ。

この中でも森田慶一はどちらかというと学究肌の先生で、ローマ時代の建築家ウィトルウィウスの「建築書」を翻訳されたことで、日本の建築界に大きな足跡を残されています。

ウィトルウィウスの建築書とは世界最古の建築の理論書です。


といった、建築の古典に造詣の深い森田慶一先生は、どちらかというと、戦前の人?歴史上の人?大正・昭和モダンの近代建築の人?って印象ですが、京都タワーを設計した山田守と同級生です。

世代的にはモダニズム建築にもっと肩入れしててもよさそうなんですが、森田先生は、この京都国立博物館の平常展示館(初代)では古典的教養を駆使した現代建築をつくろうとされています。

同時期に名古屋の熱田で設計された十六銀行熱田支店という建物も現存していますが、京都博物館とほぼ同じディシプリン、同様のプロポーション的規範に律した建築です。


よく似ていますよね。

森田慶一先生はその教養ゆえか、現代のモダニズム一辺倒以降の解釈では、その意図が非常に分かりにくい建築を成されています。
ちょっと時代が読めない、戦前の近代建築のような雰囲気をもっています。

京都国立博物館平常展示館や十六銀行の同時代の建築には以下のようなものがあります。
昭和40年生まれの建築です。

日本の寺社仏閣の肘木構造を圧倒的密度と重厚なRCで翻案したと思われるジャパニーズ構造表現主義の極北、日本のフェルナンド・イゲーラス川島甲士による津山文化センター


既にメタボリズムの萌芽を見る主構造の樹木の幹に取り付く房としてのユニット客室を表現したサザンオールスターズの歌詞でもおなじみの、菊竹清訓によるパシフィックホテル茅ヶ崎


映画のバックにも登場します。新幹線や首都高とよく似合う東京の近代化を昭和の高度成長期を象徴するモダニズム建築、三菱地所設計の東京交通会館


昭和特撮ドラマではおなじみ悪の組織がアジトにしやすい建築の代表、大地に打ち込まれた楔というモダニズム否定の地域主義的手仕事的先駆的謎建築、吉阪隆正による八王子セミナーハウス


高層部と低層部の上品なたたずまいは、紫檀のデスクに置かれた高級ライターや煙草盆を思わせる吉田五十八による
現代数寄屋の大御所が手がけたリーガロイヤルホテル


といった日本の高度成長期のイケイケ建築と比較して、森田先生の平常展示館は落ち着き過ぎている、明鏡止水のごとくです。

といったところからも谷口吉生さんの暖色の意図が読み取れてくるのであります。

京都国立博物館の経緯を書いているうちに長くなってきたので
谷口吉生さんの京都国立博物館「平成知新館」を見てきたよ2」に続きます。