元死刑囚は公判まで血痕が自分や家族、知人由来であると認めていなかったため、警察や検察は鑑定をする必要性が低かったと考えられる。

 

 

1992年の飯塚事件ですが、元死刑囚の乗用車(マツダステーションワゴンボンゴ・ウエストコースト)にあった血痕で裁判で登場しているものは5つあります。

 

A 後部座席 詳細不明

C 後部座席 13㎝×4㎝

D フロアマット(Cの直下) 22㎝×8㎝

E 警察が繊維の鑑定のため東レに送った後部座席のシート片(約10㎝角)に付着していたもの。

(ア)約1.5㎝角

(イ)約2㎝×2.5㎝

 

このうちCとDは、1992年9月26日に元死刑囚が乗用車を売却した直後に警察が押収し調べた時に発見された血痕で、

Eは東レに繊維の鑑定を委託していたときに送っていたもので、返却されたシートの裏に見つかったものです(当然東レに送付時から付いていたものだと確認を取っています)。

 

DNA鑑定は2回、1992年10月6日〜1993年3月17日に、C、D、そしておそらくAやその他の血痕について MCT118型と HLADQα型を鑑定し、1994年5月23日〜12月8日に、Eの〔ア)と(イ)、Fのうちシート裏に付着していた血痕について MCT118型と HLADQα型、そしてTH01型、PM検査法(以下、PM法)を検査しています。これらのうち(ア)のPM

法についてのみ、5つのマーカーのうちGc型のみC型(Cのホモ)だと判定できています(出現確率は1/16)。ただし高裁の判決文ではHBGG型がAB型、D7S8型がA型を示す位置にやや薄いながら発色があることが指摘されています。これらは被害女児の1人と一致しており血液型もO型と一致しているので、(ア)の血痕がその被害女児のものである可能性が高い(判決文では「矛盾しない」と表記)と思われています。

 

ところで、元死刑囚はB型だが、彼の家族や親族はO型が多数いるので、1994年5月23日〜12月8日の鑑定時に彼らのDNA型を鑑定する必要があったのではないかという意見が見られました。

 

ところが、元死刑囚は公判が始まる前までは乗用車に血がついた心当たりがないと話しています。この段階で彼の家族や親族のDNAの鑑定をする意味は警察にあるでしょうか。彼が無実であろうがなかろうが、一致する人がいれば「その人の血が付いたのかもしれない」と返答するでしょうし、一致する人がいなければ「血がついた記憶がないので当然である」と返答するでしょう。PM法のGc型のC型の出現率を考えてもこの結果のみでは血痕が被害女児のものであるとは断定しきれず、元死刑囚の家族や親族の鑑定を行っても上記結果にはほとんど影響しないことを考えても、警察が鑑定をしなかったのは特に不思議なこととは思えないのです。