翻した証言は、元の証言とあまり変わらない可能性が高い
2月15日に飯塚事件の再審請求審が行われている際に、当時最後に被害児童らを目撃したとされる女性(当時20代)が、2023年11月に「被害児童らを見たのは事件当日ではなかった」と証言したと弁護団が発表しています。
これに対して「翌々日の西日本新聞で証言があった」という意見と「翌々日の西日本新聞で記事はなかった」という意見が出ており、ソースもインターネットで出ておらずはっきりしていませんでした。
そこでソースを持っていると思われる方から掲載場所を詳しく教えてもらいましので国会図書館で確認をしてみました。
(しかしYouTubeのAIはコメントを勝手に削除していくのを何とかしてほしいですね。おかげでやり取りに余計な時間を取ってしまいました。)
結果としては「それらしい記事はある」というのが一番正しいと思います。
まず事件翌々日(1992年2月22日(土))の西日本新聞にはこの事件に関して3面を使って報道していました。
(実名は伏せておきます)
1面:飯塚の不明小1女児 2人 殺されていた
甘木の山林に遺体 自宅から18キロ殴られた跡 (30、31面に関連記事)
30面:幼い女児また犠牲 弱者の子供 モノ扱い
朝 友達と登校 昼 商店街で目撃 翌日 無残な姿
31面:愛娘 変わり果て… 飯塚の女児2人殺害
冷たい手さすり「Aちゃん!」「B!」 名前を叫ぶ父親 小雪の山中「寒かったろう」
構成は上記のようになっており、30面にドキュメントという小見出しでそれまでの目撃情報が書かれていました。
その中に、同(20日午前)8時半 学校から約三百㍍離れた場所で2人が歩いているのを農協職員が目撃。」と書かれています。
当然事件直後の目撃情報なので、誤情報もかなりあると思います。例えば判決には一切出てこない20日午後2時や2時半、6時半の目撃証言も記載されています。ただし、午前8時半の目撃証言は記載されており、それは農協職員の証言だというのは事実です。
20日午前8時半に目撃した農協職員が今回証言を翻した女性だというのはほぼ間違いないでしょう。弁護士団の発表では事件から2年後に警察が用意した女性の記憶と異なる調書に署名・なつ印を無理に求めたかを強調していますが、事件の翌々日の朝刊に証言内容が出ており、これは事件当日か翌日の聞き込みの情報ですので精確な時刻は当時は分かりにくいでしょうが、目撃した日が違うというのは常識的にはありえません。
なお、当時の新聞には書かれていませんでしたが女性は被害者達とは面識がないらしく、判決文にも固有名詞ではなく「2人組の小学校1、2年生の女の子」と書かれ、その服装などが被害者と似ているとなっていること、判決文ではその他の自動車の目撃情報も他の方々の情報とは一致しない部分があることを追記しておきます。
おそらく事件から2年が経って、記憶が薄らいでいるのに警察から当時の事情聴取の内容をいきなり出されて面食らったのだと思いますが、片方の事実を否定すると別の事実と合わなくなっている状態です。ご本人は「証言は無かったことにして、これ以上関わらせないでほしい」と思っているのかもしれませんが、経緯をきちんと説明された方が良いのではないかと思います。