先日の日曜日、お天気が良いのでノコノコと出かけてみました。

家から約1時間で最寄の駅に着きます。

そこから長い参道を歩きますと、


こ、この煙は…


ひこひこ。

クンクン。



うなぎよ、うなぎ。(*^o^*)


ああ、しばらく食べてないなあ。


参道には、鰻の蒲焼やおせんべい、千葉名産の落花生、
たまり漬けなどのお土産のお店が並んで賑わっています。

見てるだけでも楽しいです。


そうよ、見ただけよ(`_´)ゞ


しばらく歩くと総門が現れます。

成田山金剛王院新勝寺です。

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関東では有名な成田山。
まだお正月モードなのかたくさんの参拝客でした。

仁王門
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仁王門をくぐると大本堂です。

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極彩色の三重塔
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成田山新勝寺では五つの御朱印がいただけます。


大本堂では不動明王
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28日までは新春限定の不動明王御印紋というのが戴けます。
不動明王様ご真言を唱えていただいてから
額(おでこ)にペタンとご朱印を押していただきます。

印が結構大きいのでかなり目立ちます。
境内を歩くぶんには良いのですが電車帰りではちょっと、
と思い遠慮しときました。



つぎは釈迦堂。
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重文のお堂は釈迦三尊がいらっしゃいます。
堂内の彫刻も必見ですね。

釈迦堂御朱印
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光明堂
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光明堂は愛染明王様もいらっしゃり、縁結び祈願のお堂になっていました。

御朱印は大日如来様
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平和の大塔
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大きな塔内の階段を上がると新しい五大明王様がいらっしゃいます。
真っ青なボディに真っ白な歯が印象的ですが、
大きい像なので迫力があります。


平和の大塔でいただける御朱印
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関東36不動霊場の結願寺となっています。

結願寺で発願はしづらいですね。

余裕がないので今回は見送り(^_^;


最後の5つめの御朱印は境内の端にある出世稲荷です。

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若い世代の人が大勢並んでいました。

出世はやはり魅力なのですね。

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各々、狐の置物と油揚げを持って
参拝の列に並んでいます。

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咜枳尼天の御朱印
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今回は平和の大塔での法要や本堂の護摩などにも
参加してきました。

境内には露店もたくさん出ていてお腹がすいても大丈夫。

大判焼きを頬張りながらの初詣!


え、これが初詣?


はあ、めんぼくないです( i _ i )


出遅れた分、これから頑張ります…



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寒い間はあまり遠くへ出かけないのでネタもなくなりました( i _ i )


ここで昨年の11月に行った、書写山円教寺のことでも
書こうかとおもいます。

播州、書写山円教寺。
西国33観音霊場の第二十七番札所なのですが

私が思い浮かべる書写山は、戦国時代、秀吉の三木城攻めの際に
陣を構えた場所であることでした。


播州に進出した秀吉は上月城など、小さな山城を堕とした後、
加古川評定を開きますが、これが三木城の別所氏が寝返る
きっかけになってしまいます…

寝返りを知った秀吉は援軍を迎えるために書写山円教寺に入ります。


簡単に言いますとこういうわけです。


何千という兵を収容できるのは
やはりお寺が最適なのですね。

陣が長逗留するには山の上は見通しも良く、
平地より安全です。

もちろんお寺のお坊さんは大忙し?

お世話した軍が勝てば褒賞もたくさんだから頑張る!

でも嫌だったろうなあ、
急に大勢の人達に押しかけられて。


なんて、お寺の身になって考えてしまいました( ̄◇ ̄;)


さて円教寺には食堂という二階建ての大きな建物があります。

この建物の二階に宝物を展示していました。

もちろん仏像もありますが、


こんなものがありました。

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秀吉の弟、小一郎の家来が書いた柱の落書き。

やはりここは戦国だったんだ。

落書きはなんて書いてあるんでしょう?
全く読めないのです(^_^;
長い三木城攻めで家臣も退屈だったんでしょうか。


後の大和大納言、小一郎秀長は秀吉の片腕の働きをしていました。
理想の弟で好きな武将です。

官兵衛、半兵衛もいたのかな。

半兵衛はこの三木城攻めの時に病で亡くなったんだよなあ。


この横たわった柱の前でそんな想いに
耽ってしまいました。


先日、姫路出身の人とお話をする機会がありました。

わたし、円教寺に行ったよ!


と言ったら、


なんでそんなマニアックなところ行くの???


なんて言われてしまいました。


そうなのかしら(;_;)



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去年の書き溜めが年を越してしまいました。
金沢旅行の最終日てす。

一夜明け、朝目覚めたときも憂鬱になるくらいのひどい雨でしたが、

旅館を出立して拝観予約をしていた妙立寺へ向かいました。

妙立寺は俗称、忍者寺と呼ばれている、日蓮宗のお寺です。

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江戸時代は二階建て以上の建物が禁止されていました。
ここは見た目は二階建てのようですが、実は四階建ての
七層構造で部屋数が23、階段が29という複雑な建物で、
いたるところに隠し部屋、隠し階段、落し穴などがあります。

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小グループに分けられ、ガイドさんが案内してくれるのですが、
残念ながら建物内は撮影禁止です。

坪庭にある井戸は金沢城へ繋がる横穴があるといわれます。
(実際は途中に犀川があるのでこの近くまで脱出できたのか?と推測)

部屋は小さいですが茶室や謁見の間、武者溜まりの部屋、

もはやこれまで。
入ったら出ることができない切腹の間もあります。
お殿様がこの部屋に入ったときには建物には火がかけられるのでしょう。

当時の外様大名は徳川幕府から何かとイチャモンをつけられて
お取り潰しの危機さえありました。

妙立寺のある寺町の寺院群は、もし徳川軍が攻めてきた時には
出城としての役目もあったそうです。


もし、もし戦となったならば存分にお相手申し上げまする…


加賀百万石、前田家の当時の気概を感じます。

妙立寺は前田家の祈願所で、藩主が自ら参詣していたため
参詣中のもしもの襲撃などを想定したらこんな構造の建物に
なってしまったのかな、とも思いました。



さて、妙立寺から武家屋敷町まで歩いて行きます。

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土塀の薦掛けも金沢の冬の風物詩です。

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石灯籠も冬支度するんだなー
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足軽資料館
植木屋さんが雪吊り作業中でした。
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2棟の屋敷が移築再現されています。

ここもガイドさんが説明してくれます。
加賀藩は足軽といえど庭付き一戸建ての屋敷を許されていました。
それは加賀藩が裕福だからなのではなく、律儀に家臣を思いやる気持ちを
大切にしていたからだというお話でした。

一番大きな部屋は客人の接待用で、家族は小さな部屋で生活します。
お庭はほぼ自給自足の畑や果樹が植えられていたそうです。



ここで見つけたのがこの諺でした。

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金沢のお天気は変わりやすいということのようです。

観光も予定通り終わったので金沢駅へ行ってみると
在来線の電車が悪天候のためほとんど運転休止になっていました。
飛行機は羽田からの便が引き返してしまいました。

この影響で高速バスは夜行もすべて満席状態になっていました。
もう一泊どこかで過ごすことも覚悟しましたが、
タクシーの運転手さんが、電車はよく止まるけど
飛行機はわりと飛ぶよ。
と言うのでとりあえず小松空港で待つことにしました。

予定より遅れましたが羽田からの飛行機が到着したので
やっと折り返し便で無事に帰ることができました。

初めての北陸。
食べものは美味しかったけど天候の厳しさを思い知りました。

雪が降ったと思ったら、青空になったり。
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これで昨年最後の旅はおしまいです。

かなり贅沢でした。

今年は春からまた貧乏な旅に出ます。

そのほうが性に合っているような気がします。。






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