寒い間はあまり遠くへ出かけないのでネタもなくなりました( i _ i )


ここで昨年の11月に行った、書写山円教寺のことでも
書こうかとおもいます。

播州、書写山円教寺。
西国33観音霊場の第二十七番札所なのですが

私が思い浮かべる書写山は、戦国時代、秀吉の三木城攻めの際に
陣を構えた場所であることでした。


播州に進出した秀吉は上月城など、小さな山城を堕とした後、
加古川評定を開きますが、これが三木城の別所氏が寝返る
きっかけになってしまいます…

寝返りを知った秀吉は援軍を迎えるために書写山円教寺に入ります。


簡単に言いますとこういうわけです。


何千という兵を収容できるのは
やはりお寺が最適なのですね。

陣が長逗留するには山の上は見通しも良く、
平地より安全です。

もちろんお寺のお坊さんは大忙し?

お世話した軍が勝てば褒賞もたくさんだから頑張る!

でも嫌だったろうなあ、
急に大勢の人達に押しかけられて。


なんて、お寺の身になって考えてしまいました( ̄◇ ̄;)


さて円教寺には食堂という二階建ての大きな建物があります。

この建物の二階に宝物を展示していました。

もちろん仏像もありますが、


こんなものがありました。

photo:01



秀吉の弟、小一郎の家来が書いた柱の落書き。

やはりここは戦国だったんだ。

落書きはなんて書いてあるんでしょう?
全く読めないのです(^_^;
長い三木城攻めで家臣も退屈だったんでしょうか。


後の大和大納言、小一郎秀長は秀吉の片腕の働きをしていました。
理想の弟で好きな武将です。

官兵衛、半兵衛もいたのかな。

半兵衛はこの三木城攻めの時に病で亡くなったんだよなあ。


この横たわった柱の前でそんな想いに
耽ってしまいました。


先日、姫路出身の人とお話をする機会がありました。

わたし、円教寺に行ったよ!


と言ったら、


なんでそんなマニアックなところ行くの???


なんて言われてしまいました。


そうなのかしら(;_;)



iPhoneからの投稿