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そして、幻のバンド、エリック・クラプトン&パワーハウスを経て、1966年7月3日、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーと組んだロック・トリオ、クリームとして第6回ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティバルのステージに立つ。 彼らは68年11月26日ロイヤル・アルバート・ホールでのフェアウェル・コンサートまでの2年間に数々の名作、伝説を生む。 特に個性の強い3人ならではのライブは異種楽器格闘技とも言えるテンションの高さで、まさにバトルの連続だった。 1968年発表の名盤『クリームの素晴らしき世界(Wheels Of Fire)』。スタジオ編、ライヴ編が各1枚づつという2枚組。2枚組にも関わらず全米ナンバー・ワンを獲得。しかし、2年余りでバンドでの活動に終止符を打つ。彼はロンドンの南側になるサリー州の自宅にこもり、元トラフィックのスティーブ・ウィンウッドと気軽なセッションを楽しむ。やがてそれが周囲の思惑もあり、スーパー・グループ、ブラインド・フェイス結成へとつながる。
しかし、このグループもわずか1年足らずで空中分解。 その後、彼はジョン・レノンやアメリカ南部に根ざしたスワンプ・ロックのデュオ、デラニー&ボニーのセッションに参加する。 その後、よりリラックスした音作りと世界を求め、デレク&ザ・ドミノスを結成。 名作「いとしのレイラ」を生むのである。
クロス・ロード/クリーム(CROSS ROAD)
プレゼンス・オブ・ザ・ロード/ブラインド・フェイス (PRESENCE OF THE LORD)
恋とは悲しきもの/デレク・アンド・ドミノス (WHY DOES LOVE GOT TO BE SO SAD?)
愛の経験/デレク・アンド・ドミノス (HAVE YOU EVER LOVED A WOMAN)
ホワイト・ルーム/クリーム(WHITE ROOM)
ママ/ジェネシス(MAMA)
キャリー・オン/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング (CARRY ON)
孤独のメッセージ/ポリス(MESSAGE IN BOTTLE)
バッジ/クリーム(BAGGE)
アイ・アム・ユアーズ/デレク・アンド・ドミノス (I IM YOURS)
哀愁のヨーロッパ/サンタナ(EUROPA)
リトル・ウィング/デレク・アンド・ドミノス (LITTLE WING)
アイフィール・フリー/クリーム (I FEEL FREE)
荒れ果てた街/クリーム (DESERTED CITIES OF THE HEART)
ベルボトム・ブルース/デレク・アンド・ドミノス (BELL BOTTOM BLUES)
ロール・イット・オーヴァー/デレク・アンド・ドミノス (ROLL IT OVER)
いとしのレイラ/デレク・アンド・ドミノス (LAYLA)
THEY'RE RED HOT/エリック・クラプトン
いくつかのバンドを渡り歩く流れ者ヴォーカリストだったスティーヴン・タイラーとジェフ・ベック・フリークのジョー・ペリーを中心に1970年エアロスミスと名のって活動開始。72年、ニューヨークに進出し、マクシス・カンサス・シティでの壮絶なライブが音楽関係者の評判となる。73年、アルバム「野獣・生誕」でデビュー。このデビュー作、当初は全米チャートにもランクされなかった。しかし地元ボストンのラジオ局で、“ドリーム・オン”のリクエストが殺到。レコード会社は急ぎシングル・カット。結果的にこの“ドリーム・オン”は全米チャート59位まで上昇した。日本では2nd(「飛べ!エアロスミス(Get Your Wings)」に入ってる、ヤードバーズの“Train Kept a Rollin'”はかっちょいいーヨ)が1stアルバムかの様に売られていました。
76年には4作目「ロックス」が全米で第3位、プラチナ・アルバムを記録。その後の活躍でロック界の頂点に立った彼らだが、79年のアルバム「ナイト・イン・ザ・ラッツ」の不評もあって、ジョー・ペリーが脱退。さらに、スティーヴン・タイラーのバイク事故。80年には、もうひとりの(G)ブラッド・ウィットフォードも抜け、グループは活動を停止。その後、メンバーを補充し82年にはアルバムをリリースするものの、かつての人気は望むべくもなく、再び活動を休止。解散説まで流れる。 しかし、時はL.Aメタル花盛りを迎えていた。中でも、かつてのエアロスミスに影響されたモトリー・クルー、シンデレラやラット(B'zだって影響されまくってます)に人気が集まると、その元祖たるエアロスミスの名は再び表舞台に登場する事になる。そして、クループはオリジナル・メンバーで復活するのであ~る。
さらに、86年にはランDMCがエアロスミスの名曲「ウォーク・ディス・ウエイ」をラップで取り上げ大ヒット。エアロスミス待望論が高まる中、まさにその時、87年にリリースされたアルバム「パーマネント・ヴァケイション」は当然の如く大ヒット。同作は全米のみならず世界中でヒットを記録し、ツアーも成功を収め、70年代をも上回る圧倒的な人気を手に入れたのである。一方、スティーヴン・タイラーの娘で女優のリヴ・タイラーが出演する映画アルマゲドンの主題歌“ミス・ア・シング”で、映画とともに世界的な大ヒットを記録する。2002年には映画『スパイダーマン』のサントラに楽曲を提供。
70年代「ロックス」、80年代「パーマネント・ヴァケイション」、90年代「ゲット・ア・グリップ」と各時代に代表作を残すエアロスミス。彼らのスジ金入りのR&R人生はまだまだ続く。。。
バック・イン・サドル(BACK IN THE SADDLE) ママ・キン(MAMA KIN) デュード(DUDE) スウィート・エモーション(SWEET EMOTION) ドロー・ザ・ライン(DRAW THE LINE) 闇夜のへヴィーロック(TOYS IN THE ATTIC) ドリーム・オン(DREAM ON) ウォーキング・ザ・ドッグ/ローリング・ストーンズ (WALKING THE DOG) セイム・オールド・ソング・アンド・ダンス(SAME OLD SONG AND DANCE) ラヴ・ミー・トゥ・タイムス(LOVE ME TWO TIMES) リック・アンド・ア・プロミス(LICK AND A PROMISE) ラスト・チャイルド(LAST CHILD) アメイジング(AMAZING) レット・ザ・ミュージック・ドゥ・ザ・トーキング (RET THE MUSIC DO THETALKING) ウォーク・ディス・ウェイ(WALK THIS WAY) トレイン・ケプト・ア・ローリン(TRAIN KEPT A ROLLIN) ミス・ア・シング(I DON'T WAN'T TO MISS A THING) TBS(ロック魂の選曲より)