今晩は。

















今日も、映画の感想文です。
私の文章は分かりにくいと思いますし、しかも長いから、無理はなさらないで下さいね。
















『マディソン郡の橋』


大変に有名なお話ですが、あらすじも簡単に書きます。ネットで調べてはいますが、私の記憶をもとに書くので、間違いがあればごめんなさい。













三十年ほど前に、原作を読んでいます。
どのような文体だったのか等は、もう忘れてしまいました。お話の展開を大雑把に覚えているだけです。
全く共感できない、つまらないお話でした。
「こんな退屈なものがベストセラーなんだ」と不思議でしたね。読んで泣いた男性もいたという話がありますが、どうして泣くのかなと不思議でした。泣くどころか、私は感動もしなかったのです。
男性が抱く夢やロマンが書かれてあるのだろうと、何となく思いはしましたが、それだけのことで何も残りませんでした。

それでも映画を観たのは、クリント・イーストウッドの作品だからです。
映画の評価が高かったのなら、原作がつまらないことは気にとめません。DVDを借りてきて、自宅で気軽に観るなら、尚更にそう考えます。
しかも、名女優のメリル・ストリープがヒロイン役でしたから。私はこの女優さんが好きなのです。



この映画を観るのは、これで二回目です。
最初に観たのはいつだったのか、もう忘れました。ずいぶんと時間が過ぎたと思います。

自粛で外出を控え始めた頃に、この映画をツタヤで見つけて懐かしくなり、もう一度観てみようかと思ったのです。

最初に観たときは、大変に感動したわけではなく、強い印象も残りませんでした。ただ、俳優さんたちの演技が素晴らしかったことと、画面に広がる風景の美しさに見とれました。よくある農村の、優しく美しい風景です。
















映画の展開に沿って書きます。原作は忘れてしまいました。




母親のフランチェスカが亡くなり、子どもたちが実家に戻ってきたところから、物語は始まります。自分等に宛てた母からの手紙を、子どもたちは読みはじめます。

フランチェスカには、子どもたちに話しておきたい出来事があり、その手紙を書いたのです。
それは、四日間だけの恋でした。
その手紙には、フランチェスカの大切なお願いが書いてあったのです。








アイオワ州のマディソン郡で暮らすフランチェスカは、平凡な農家の主婦でした。少し人生に疲れています。今の生活は、かつて自分が思っていたものとは違っていました。

真面目で堅実な夫と、言うことを聞かないけれど可愛い息子と娘の四人で暮らしています。
服の着方はだらしなく、裸足で室内やテラスを歩きまわって家事をしています。言動は粗野でした。長い髪は無造作にあげています。

家族が町へ出かけたある日、自宅の庭先に写真家のロバートがやって来ます。
屋根がついた橋を撮りに来たが、道が分からないと言うのでした。ロバートは写真撮影のために旅をする男です。家を持っていません。
これも自由な人生なのでしょうか。

道案内を自ら申し出たフランチェスカは、彼の車に乗り煙草を吸いながら、いろいろなお喋りをするのです。大胆過ぎて、驚きますね。
そんな時代だったのかと思いましたが、そうでもなさそうです。不倫の結果として、皆から仲間外れにされて泣く女性が登場していました。











この橋の周りの風景が魅力的なのです。
故郷や子どもの頃を、私は思い出してしまいました。郷愁ですね。映画の画面から、あぶだと思いますが、虫の羽音が聞こえてきます。土手や川縁には野の花が咲き乱れて、私はもう眩しい思いでした。このような場所でよく遊んだ幼い頃を思い、少し寂しくなりました。あの頃が、私の楽しかった時期ですから。













フランチェスカはロバートと激しい恋に落ちました。家族が留守中の家に彼を招き入れ、一緒にお風呂に入って、同じベッドで眠ります。
あり得ないですね。原作を読んだ時は、もう馬鹿馬鹿しくなりました。「誰がこんなことをするのよ」と思ったのです。あまりにも無防備ですね。大胆すぎます。

楽しかった四日間が終り、家族の帰宅する時間が近づいてきました。二人は駆け落ちの準備をします。しかし、家族を愛するフランチェスカは、理性が働いて思いとどまるのでした。






話は少しそれます。

この映画が公開された頃、雑誌の映画の批評にありました。(申し訳ないのですが、批評された方を忘れてしまいました)
「初めはそう思わなかったが、観ている間にフランチェスカが美人に思えてきた」
映画を観ていて、「そのとおりだな」と私はその批評を思い出しました。


はじめの頃のフランチェスカからは、女性らしさは感じられません。ロバートとお喋りするときも、だらしなく椅子に座っていて、下品な笑いかたをします。体型は崩れ、お洒落はしていません。私もひとのことは言えませんけど。

恋をすると綺麗になる、ということですね。
ロバートを意識し始めたフランチェスカは、鏡の前で服をまくりあげます。自分の崩れた体の線を凝視する彼女の怖い顔に、恋をする決意が感じられました。
髪をおろしてイヤリングをつけたり、新しい洋服を買ったりするのです。











話は戻ります。

結局は、二人は別れました。
フランチェスカは涙を堪えて、帰宅した家族を迎えます。それは幸せな家族の風景でした。


わずか四日間の恋愛でしたが、想いは強かったのです。別れた後で、夫と町で買い物をしていたフランチェスカは、ロバートと再会してしまいます。激しい雨の中で、フランチェスカを見つめるロバートの表情が切なくて、私は涙が出ました。クリント・イーストウッドの演技が素晴らしいのです。あんなに寂しくて哀しい顔で恋人に見つめられて、平静を保てるひとは少ないでしょう。






時が流れました。
白髪になったフランチェスカは。夫の看病をしています。夫が弱々しい声で尋ねました。

「フラニー」と愛称で呼びかけるのです。
「家庭のために、夢を諦めたのではないのか」
フランチェスカは優しく夫に頬を寄せ、愛していると答えます。

若い頃に教師をしていたフランチェスカは、家族のために退職したようです。ロバートにも話していました。優秀な生徒に会うと嬉しいという意味の話でした。
このあたりは、すみません、ちょっと記憶に自信がありません。

夫の死後、フランチェスカはロバートを捜します。しかし、ロバートの行方は分かりませんでした。

ある日、フランチェスカのもとに、ロバートの弁護士から荷物が送られてきました。フランチェスカとの想い出の品がつまっていたのです。
 
ロバートはフランチェスカを死ぬまで愛していたのです。
そうと知ったフランチェスカは胸がいっぱいになりました。フランチェスカもまた、家庭を大切にしながらも、心ではロバートを愛していました。
たったの四日間は一生の愛となって、二人を結んでいたのです。






フランチェスカの手紙には、子ども達への頼みごとが書いてありました。
「生きている間は家族を愛して大切にしたけど、死んでからは恋人と一緒にいたい。死んだら火葬にして、ロバートとの想い出の橋から、灰を撒いてほしい」
ロバートの遺骨も、灰となり、その橋から撒かれていたのてます。

これもあり得ないと思いますね。
不倫は、当人だけの秘密にするものかと思うのです。夫が可哀想ですね。
でも、フランチェスカは進んで自分から子どもたちに話をします。そして、死後は恋人といたいと願うのでした。

家族のために自分の人生を諦めて生きる主婦が、たまたま出逢った男性と恋に落ち、それも諦めました。最後には、良妻賢母として人生を終えたのです。夫婦仲もよく幸せな人生だったかとも思いますが、死んでからは自分の恋人と一緒にと願ったのでした。
主婦としての責任を果たして生きた後は、ひとりの女性となって恋人に連れ添うのですね。
これはこれで、少しなら分かります。

このお話は正しいのでしょうか。考えたけれど、実は分かりません。












物語は終りに近づいてきます。

手紙を読み始めた時は、母の恋に不快だった子どもたちも、最後は理解して感動しました。
母の願いを聞き入れ、遺言通りにしたのです。明るい日差しのなかで、橋の上から灰を撒く子どもたちは、明るく穏やかな顔をしていました。

フランチェスカとロバートとの愛を理解した二人は、寛容なのでしょうか。





最後は自分達の結婚生活も、子ども達はそれぞれに見直します。
息子は家庭を大切にしていくと決め、妻に優しい笑顔を見せました。娘は、愛がない結婚生活を終わらせる決心をし、夫に電話をかけるのです。












このブログを書いていて、思いました。
やはり、最初に思ったように、これは男性の夢なんだなと。
ロマンスはありますが、やはり不倫の話です。

でも、人生に疲れきった中年の主婦には、心ときめく幸せで自由な非日常な四日間だったのでは。その四日間があったから、家族への愛を再認識できたかとも思ったのです。
長い人生での四日間だけの幸せは、貴重なものですね。

そう思うと、これは男性だけの夢ではなくなります。女性にとっても、夢なのでしょう。
夢に決まりはなくて、見知らぬ男性を家に入れても構わないのです。
幸せな夢なら、良いのです。

ベストセラーになった理由は、それかなと思いました。













週刊文春の、ある特集を思い出しました。
この映画の原作が、話題になっていた頃の話です。もう三十年前ですし、はっきりとは覚えていませんが、私も共感はしました。
『マディソン郡の橋』が面白いか、面白くないかというアンケートをしたようでした。
その結果は、半々ぐらいだったかと思います。
すみません。よく覚えていないことを書くのはいい加減なことだと思います。失礼ですね。
ただ、この本をつまらないと思ったのは、わたしだけでなかったので、安心しました。それを言いたかったのです。
週刊文春さんには申し訳ないと思います。











長々と書いてしまいました。
私のつまらない文を読んで下さって、有り難うございます。

この映画を、何かの時に思い出していました。
原作はつまらなかったけれど、今の年齢になった私が読めば、どうでしょうね。
三十歳ぐらいで若かった私には、この本の良さが分からなかったかとも思うのです。

今から数年後、この本や映画に、今以上に感動するでしょうか。