自分に逆らうあまのじゃく | Moratoriumer´

Moratoriumer´

今日も波に揺られて海を漂う。

あまのじゃく。

そんな自分に手を焼くことしばしば。

同性愛。

それがさらにややこしくさせる。

多くの人は勘違いし

もしかしたら

うち自身も勘違いしていることもあるのだろう。

「えま自身が本当に望むことは何?」

「えまの内面の、底の底にあるものって、何?」

こうした質問を投げかけられると

うちは目をそらし

耳を塞ぎ

口を閉ざす。

でもそれは

わからないからではなく

実は重々自分でもわかっているから。

同性愛というものから解き放たれ

一個人としてありのままに生きていけばいいことも

実は重々わかってるんだ。

それでもうちが同性愛を表に掲げるのは

そのまさに疑問を抱いてくれた点に

うちを通して気づいて欲しいという思いがあるからだ。

同性愛が何!?

えまはえまでいいじゃん!!

・・・と

うちを気づかせてくれたのは過去の話で

そんな気づきを

多くの人に分けたいと思っている今なんだ。

だから

先ほどの質問のような言葉をかけてくれたことは

もう狙い通りというか

はなまるくきつきはっぱつきなのだけど

その質問は

うちにではなく

自分自身にして欲しいもので。

あまりにうちと近い人は

うち自身の思いとうちの言動に矛盾を感じ

うちを見ていて心配になってしまうから

あるいは自身の答えは見つかっているから

きっと思わずそんな質問をしてしまうのだろうけど。

あえて同性愛ということを表に掲げなくとも

もしかしたら何百人もの人の心に触れられるかもしれない。

でも

同性愛ということをあえて表に掲げることで

もしかしたら何万人もの人の心に触れられるかもしれない。

うちから同性愛というものを取り払ったとき

何が残るかって

今と変わらず

「えま」だよ。

同性愛というのは自分を見つめるときや

自分を構築するときに必要な道具みたいなものであって

あるいは

他者が同様に使える道具みたいなものであって

今やそれに自分を投影したりはしていない。

だからアイデンティティと結びついているからと

危うさを感じることも今のうちにはない。

想像される以上に

うちはうちを感じながら生きている。

誰かがしてきたことをする必要はうちにはない。

社会的に性を主張せずとも幸せに

さらには周りをも幸せにしながら生きている人はいる。

過去にも現在にもきっと未来にも。

だからあえてうちは

開拓したいと思う道を選ぶんだ。

その道だからこそ出会える人がきっと多くいるだろうから。

もし開拓時に不本意にも巻き込んでしまっている人がいるなら

本当に申し訳ない。

そういう罪悪感にも似たものが出てくるだろうから

うちはずっと

一人でいたのだと思う。

休憩所も

活動場所も。

でもそんなうちに目を止めてくれる人は

決してうち一人じゃない。

ただ世界を広げたい。

それだけなのかもしれない。

そんな世界もある中で

あなたはどんな世界にいきたいですか

って

それだけなのかもしれない。

うちは同性愛という枠に囚われているようで

実は誰よりも自由の中にいるのかもしれない。

でも結局

それが伝わらなければなんの意味もないことで。

ただ縛りつけられた首輪に息を詰まらせながらも

次の一歩を踏み出そうとしている犬を見ているようなもので。

そんなふうに映るうちから

感じてもらいたいことなんて

何一つない。

なぜ昨今

うちの本音を聞きたがる人が出てきたのだろうとふと思う。

聞きたいのなら

言葉にするけれど。

「愛するファミリーたちに囲まれて

時間にも人にも縛られず

あらゆる生命を感じながら

ただ幸せに生きていきたい。」

それだけだよ。

それをただ純粋に叶えないのは

遠回りして周り道して生きているのは

学校という限られた場所の教育者だけではなく

人生という広い視野を持つ教育者としての一面を垣間見るあきなら

わかってくれるだろうか。

きっとそんなうちの本音を聞きたくて

いつも以上に言動に配慮しながらも

質問を投げかけてくれていたんだろうけど。

こうして言葉にすることは

あきの言葉で言えば

まるで血を吐くような作業で

それゆえにうちが避けてしまっていたことだと思う。

それによって

あきに寂しい思いや不安な思いをさせてしまったのなら

本当に申し訳ない。

それでも言葉にし

返ってくるどんな言葉も受け止めようとしてくれたこと

これは母に対してもそうなのだけれど

本当に感謝しています。

ありがとう。

このブログの記事の

どこかにまた

もしかしたらあまのじゃくなうちがいるかもしれないけど

あるいはうち自身が勘違いしていることもあるかもしれないけど

それはご容赦願います。

気づき次第

訂正していくつもりです。

うち自身

矛盾や疑問を感じることは常だし

空っぽで何もないように感じることもある。

それでも一応

幸せなことにも

生きたいように生きさせてもらってるつもりです。

飛べないのにもがき苦しんでいる

あひるのように見えるかもしれない。

でもよく見れば

空へ飛ぼうと水面で羽ばたいている

白鳥なのかもしれない。

正直なところ

それは自分でも未だわからないのだけれど。

少なくともうちは

後者だと信じて今を生きてるよ。

もしあひるならば

この足で走ればいいだけだとも思うけどね。

自分だからできることをするだけ。

自分だからできると思っていることをしているだけ。

それなのに

心配かけてごめんね。


この記事を書き始めて6時間以上経つ。
それでも、なんとか言葉にできて良かった。↓

にほんブログ村 恋愛ブログ 同性愛・ビアン(ノンアダルト)へ
にほんブログ村