セクマイに足らないのは「価値」 | Moratoriumer´

Moratoriumer´

今日も波に揺られて海を漂う。

相変わらず考えてます。

どうやったら社会が変えられるのか。

この自分に。

うちが作戦を練るのに唯一ヒントになる授業があります。

スポーツ社会学です。

その中でも最近とても興味深かったのが

身体障害者スポーツで触れた身体障害者の価値について。

現代は業績主義や能力主義であり

「できる」ことができない障害者は

価値を低く見られているというものでした。

身体障害者もマイノリティであるため

うちはそこから多くのことを学びます。

ここからはそうして学んだうちの現時点での考え。

まず

社会を変えるには

同性愛者を肯定的に広めるには

何かしら価値を生み出さなければならないと思う。

社会や会社や学校とかに。

それはセクシャルマイノリティだけでなく

異性愛者にとって何か価値になるようなこと。

だから簡単に言えば

市場の餌になればいいんだと思う。

みんながもってる共通の価値って言ったら

結局お金だから。

もしテレビにレズビアンが出た時

視聴率が低かったり

話題性がなかったりしたら

その時限りで終わってしまうこともあるでしょう。

足らないのは「価値」。

テレビの視聴率を上げるほどの価値。

雑誌の売り上げを上げるほどの価値。

みんなが目を向け耳を傾け心を震わすほどの価値。

同性愛者が社会に何ができるんだろう。

同性愛者の社会的役割って?

異性愛とは違って生殖性がない同性愛者の生物的役割って?

・・・わからない。

わからないから動けないのだよ。

ちなみに今うちが

同性愛者であるうちが

どんな価値を身近な人に与えられるのかというと

「あれうちの友達。同性愛者なんだよ。」

って友達が誰かに言ったとき

「あの芸能人知ってる?うちの知り合いだよ。」

って言われたときの反応のように

「羨ましい」とか「いいな」って周りに思わせること。

その友達のイメージアップに繋がるような

ステータスになること。

そんな価値を与えられたらいいなって思います。

身近なことに関しては

そんなふうに何かしら見つけられるんだけど

社会となると難しいね・・・。

うちに足らないのは「頭」です。

もっともっと勉強しないとね。