私はどうしようもなく子どもだった。いや、だったじゃない。今もそう。
大人を、両親のやっていることを簡単だと舐めていた。
毎日朝起きて、朝ごはんを準備して、食べて、出かける。
働く。スーパーで食糧を買う。帰る。お風呂に入る。明日も早いからと遅過ぎない時間に寝る。
普通のことだった。できると思った。なのに、今の私にはできない。
大学が楽しいものだと聞いて、それを期待して心が病むまで受験勉強をした。なのに、全く楽しくなかった。
手のひらを返すように、ある人からは「大学が楽しいものだと思ってたの?全然楽しくなかったよ。」と言われた。
この世界には逆接が多すぎる。思ったようにいかないことばかり。思った通りとまでは求めてないのに。おおよその方向性すら真逆だなんて良くあること。
まあ世界ったって結局私が見て私が考えたものなんだけど。
お金を出して大学に通わせてもらってるのに、自分はとてつもなく恵まれているのに、それが苦しい。
昔の自分の書いたものを読んだ。胸がギュッと掴まれ、縮こまったように感じた。
高校生の頃は、早く大人になって、仕事をして、自分で罪悪感なく使えるお金が欲しいと思ってた。
大学生になって、親の凄さとその無常に気づいてからは、一刻も早く自立しろと責め立てられているようで、自分が子どものままであると知りながら尚子どもでい続けたいと思ってしまうようになった。
諸行無常なんて、昔、国語の授業で教えられてたはずなのに。高校生の私は現実にピントが合ってなかった。
もっと、楽しく過ごす事を考えればいいのかな?
後先考えず?なんとかなるさって?
怖い。そんなのどうしようもなく怖い。
失敗を避けてきた。怒られるのは怖かった。批判されるのは比べるもののない辛いものだと信じた。
でも分からない。失敗は成功の母と言うし、批判は多様性を産むだろう。
私は生き方を間違えたのだろうか?怒られないことばかりに縋りついて生きてきた。怒られないのは人に迷惑をかけていない、正しいことではないのか?掃除の時間にお喋りをして先生に怒られているのを見て、不思議だった。後にすればいいのに、なんで今するんだろう。
友達と笑い、結果先生に唾を飛ばされるのすら良い思い出になるのなら、目をつけられることこそが先生に可愛がられる要素なら、
いい子でいる意味なんて本当に無かった。
ああ、そうか。
怒るのは嫌いだからじゃない。叱るの方が正しいかな。その人が今後良い人生を歩めるように、だから叱る。愛のムチってやつ。
そんなのとっくに気づいてた。気づいたってそっちになれる訳じゃない。三つ子の魂百までってことわざ、私は勝手に信じてる。
なろうとしたってどうせマガイモノ。
だったら最初からやらない方がいい。
今だって顔の筋肉を抑え込んで、無理やり綺麗に涙を流してる。