講演中の「日本被団協」代表委員、田中熙巳さん
(2025年11月12日、千葉県市川市にて)
2024年のノーベル平和賞を受賞した「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協))」代表委員、田中熙巳(たなかてるみ)さんの話を聴く機会がありました。
また日を改めて、その講演内容について書くつもりですが、今回(昨年2024年)の受賞に関して、“備忘録”的に、3点メモしておきます(注)。
(注)以下の【1】~【3】は、わたしへの“備忘録”ですが、長い場合には【1】~【3】を一気に読まず、1日にひとつぐらいのペースでゆっくり読み進んでもらえるとうれしいです。
【1】ひとつは、日本被団協は、過去に4回ほど「ノーベル平和賞」の候補になっていたということです。どうして…今回5回目のノミネートで受賞になったのか、そのあたりのいきさつについて、朝日新聞は田中さんの声をまじえて、次のように書いています。
「 田中さんによると、日本被団協は1985、95、2005、17年と繰り返しノーベル平和賞候補になりながら、逃していた。『被団協に決まらなかったのは、ノルウェー政府やノーベル委員会が(原爆加害国の)米国に気がねをしていたから。もう受賞はないと、あきらめていた』。だから今回の受賞にはびっくり仰天した、という。
『ロシアがウクライナに侵攻し、核大国の大統領が核使用(の可能性)を軽々しく言う時代。その危機感から、やはり被爆者に語ってもらうしかないと、我々に決まったのだろう』 」 (2025年3月16日 朝日新聞より)
以前、2021年1月22日ブログ で、アメリカが核兵器禁止条約を批准した各国に「批准を撤回するよう」に迫っていたことにふれました。
同じように「〈ノーベル平和賞〉を、原爆関連の個人や団体に与えるな…」といった具体的な圧力が(ノーベル賞委員会に)あったかどうかは不明ですが、やはり、ノーベル賞と言えども、そういう政治的なパワーバランスとは無縁ではないということ、改めて感じました。
【2】 それから…ふたつ目、これは当時、ニュースでも話題になりました。
つまり、田中さんはオスロでの受賞スピーチで、「原爆で亡くなった人たちへの補償を日本政府は一切していない」と、事前の原稿には無いことにふれたのでした。
この点について、日本政府の取り組みについて、田中さんの受賞スピーチから抜き出してみます。 (出典:日本被団協ウェブサイトより)
「1957年に『原子爆弾被爆者の医療に関する法律(原爆医療法)』が制定されます。しかし、その内容は、『被爆者健康手帳』を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。 1968年『原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)』が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。
1985年、日本被団協は『原爆被害者調査』を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。
1994年12月、2法を合体した『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)』が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。」
この戦争の犠牲者への補償という点について、日本は、旧軍人・軍属、準軍属とその遺族には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に基づいて補償はしているものの、民間人の犠牲者については補償していません。
第2次世界大戦の戦勝国であるイギリスは、1939年、「人身傷害(緊急措置)法」が制定され、民間人を含む被害に対する補償制度が確立されています。
日本と同じ敗戦国のドイツでは、1949年、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が誕生。翌年、「戦争犠牲者の援護に関する法律」が制定されました。この法律の対象者は、元軍人、市民も含まれるだけではなく、ドイツ以外の国籍でも、ドイツ国内、もしくは損傷当時ドイツ国防軍の占領地域にあり、戦争の直接的な原因により被害を受けた場合等の条件を満たせば、補償の対象となるそうです。
そして、1957年、1968年…さらに1994年の法改正など日本は対応が遅いです。
法律の制定だけではなく、そもそも政府は「原爆症」そのものの認定を極端に抑えて来たのです。たとえば、2008年4月当時の法律上の被爆者数は約25万人、それに対して実際に「原爆症」と認定された被爆者は2200人ほど、全体の「0.9%」程度という極めて少ない認定なのです。このような認定数の低さが、2003年に始まる原爆症認定を求める集団訴訟へとつながっていきますが、まるで…日本政府は「原爆症」という健康被害など、そもそも存在しないのだ…とでも言いたそうにさえ感じます。
どうして、そこまで原爆症の認定数が低いのか、それが次の3点目。つまり、そういう場面でも日本はアメリカ政府の顔色をうかがっていたのではないか…と、わたしには思われるのです。
【3】なぜ、原爆被害者への救済が後手後手になるのかと言えば、「国/政府」の実態が(わたしがくりかえし指摘しているように)「サークル活動」であることと、もう一つ見逃せないのは、アメリカ政府の「秘密主義」具体的には「健康被害の隠ぺい」です。
つまり、アメリカ政府は
原子爆弾というのは、高度な軍事機密に属することを理由に、被曝(注:熱線などによる「被爆」とは異なる。「内部被曝」のこと)に関する研究を日本政府に対して禁じました(→わたしたちが目にする「きのこ雲」の写真ですら当時は公開されなかったのです)。
そして、原爆投下に関する「健康被害」についてもすでに収まっているという態度を貫きました。
具体的には、原爆製造(→マンハッタン計画)の過程で放射線の人体影響の研究を担当していたトーマス・ファーレル氏は原爆の人体への影響を当然知っていたにもかかわらず、1945年9月に
「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能で苦しんでいる者は皆無である」
「残留放射能の危険を取り除くために、相当の高度で爆発させたため、広島には原爆放射能が存在し得ず、もし、いま現に亡くなっている者があるとすれば、それは残留放射能によるものではなく、原爆投下時に受けた被害のため以外あり得ない」
という声明を発表したのです。
ところが、その裏では…1946年にABCC(Atomic Bomb Casualty Commission:原爆傷害調査委員会)という組織をアメリカは立ち上げ、被曝者に対して「調査すれども治療せず」という徹底した方針のもと、ただ被曝者のデータをとるだけの活動を続けたのでした。つまり…アメリカにとって、世界で初めての原子爆弾が人体にどのような影響を与えるか…という疫学的データが、のどから手が出るほど欲しかったわけです(注)。
(注)下の「内部被曝研」のレポートには、1946年に海軍省からトルーマン大統領に送られた書簡の一部が引用されています――「アメリカにとって極めて重要な、放射線の医学的生物学的な影響を調査するにはまたとない機会です。調査は軍の範囲を超え、戦時だけでなく平時の産業農業など人類全体に関わるものです」
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このように…
【1】 過去に4回、日本被団協が「ノーベル平和賞」の候補にのぼっていたこと
【2】 「原爆症」の認定数が極めて少なく、その救済が遅れており、政府は原爆で亡くなった人への補償を一貫して拒んでいること
【3】 日本の被曝者が、アメリカのABCC(やその後の放影研)によって、被曝のデータを取られ続けたこと、
…等は、この国の主権者であるわたしたちは知っておいてよいでしょう。
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それから――もうひとつ。
田中熙巳さんの講演会場には、神奈川県三浦市長も来ており、過去に三浦市でも「第五福竜丸事件」の影響が大きかったことの話題が出ました。
この「第五福竜丸事件」、1954年3月に太平洋上のマーシャル諸島のビキニ環礁(かんしょう)でアメリカが水爆実験をおこない、近くを航行中の第五福竜丸乗組員が被曝、その後に死亡する事件ですが、これによって日本国内では原水爆に反対する機運が高まり、2年後に日本被団協が結成されるのです。
その「第五福竜丸事件」で急性放射能障害のために亡くなった久保山愛吉(当時40歳)さん遺族に、当時22歳の田中熙巳さんは、職場の同僚と一緒に寄せ書きを送り、そこで自身も長崎での被曝者であることを書き添えたそうです。その時の心境等を田中さんの言葉として「2025年8月6日読売新聞」は次のように伝えています。
「勇気を出して立ち上がることが久保山さんの霊に応えることになると感じていたのだろう」
「原水爆反対の運動が、 燎原(りょうげん) の火のように日本中に広がっていった」。
「第五福竜丸事件がなければ被団協はなく、(核兵器を二度と使ってはならないとする)『核のタブー』は確立されなかっただろう」
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それでは次回以降、田中さんの講演内容についてかんたんに紹介します。
下記の〔 参 考 〕のサイト、すこしむずかしいかもしれませんが、ひまを見て読んでいただければ幸いです。
( 続 く ⇒ コチラ )
〔 参 考 〕
原爆被害の隠ぺい(その2)
内 部 被 曝 問 題 研
◆ サーロー節子さんの語る〈内部被曝〉( 2019年11月18日ブログ )
◆ 吉永小百合さん:「詩で伝える原爆と福島」 ( 2021年8月7日ブログ )
◆ ゆ る や か な 殺 人 ( 2020年5月26日ブログ )

