たいへんだ~! ゲッソリ  ゲッソリ  ゲッソリ

 

 …とわたしが声をあげても…まわりの人たちはけっこう涼しい顔をしています。

 

 「あ~~~、詩乃ちゃん…また始まったよ」 みたいな。ガーン

 

 じゃあ…証拠写真、見せましょうか ?  (←今日は展開 はやいでしょ?)

 

                               見せますよ~~~! ニヤニヤ

 


 みんな、こっち向いて歩いていますから、

「うしろから迫り来るもの」に気がついていません。


 気がついて…「たいへんだ!」と慌てているのは、わたしだけ( 笑い泣き 

 

 


 気がついている人もいますけど…ホラホラ…

写真手前の、いかした帽子と白いシャツのおじさん、

 

歩きスマホ」なんてしているものだから、

「うしろから迫り来るもの」いっこうに気づいていないようです。

 

 

                                   乳母車の中の赤ちゃん、笑っているんです…


 あっ…アブナイ !!


 お母さん…うしろから迫り来るものに、早く気がついて!!

 


 

                          赤ちゃん、表情が変わっています…


 気配を感じたのか、若いお母さんが気づいてくれたぁ、はぁ~よかった…


 と思う間もなく ―― アセアセ

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

下矢印

 

ガシッ !

 

 

               (撮影:すべて2018年4月29日、都内にて)


 お母さんは、うしろから…ガッチリとつかまってしまいました。


 …ね…??キラキラ

 

 わたしが「たいへんだぁ~!」と書いた理由、わかってくれたでしょブルーハーツ

 

 チューリップ

 


 まぁ、これは…

 

 イベントの楽しいひとコマですから、写真そのものは楽しく見てもらえばよいのです。

 

 しかし…わたし自身は、この光景を見て、ひとつは…

渡邊白泉(わたなべはくせん/1913~1969)が20代(1939年)のときに詠んだ、

あの一句を思い出しました。

 

 

 

 …気がつくと、ふと…戦争というものが、廊下の奥に立っていた…という戦慄。

 

 この句が詠まれたのは1939年…、これから日本が泥沼の戦争に巻き込まれていく、ちょうどその時でした。

 

 そして、もうひとつわたしが思い出したのは、兼好法師(13世紀)の書いた『徒然草』の一節です。

 

 「死期はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねてうしろに迫れり。 人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来たる。 沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるがごとし」

(徒然草155段より)


     お母さん 詩乃ちゃん訳 お母さん
 「死ぬ時というのは順番(ついで)を待たないで〔突然に〕やってくる。死は〔必ずしも〕前からやってくるものでもない。気がつくとふとうしろに迫って来ているものなのだ。人は皆、死が〔この世に〕あることは知っているし、ゆるやかにそしてぼんやりとそれぞれの意識のうちに死はあるにはあるが、しかし…実際の死というものは、予期せぬときにいきなりやって来る。それは、沖の干潟に潮は満ちていないように見えても、気がつくと浜辺まで海水が満ちて来てしまっているのにも似ている」

 

チューリップ
 

 いま…一見…平和に暮らしているわたしたちに対して「うしろから迫り来るもの」って、何でしょう?

 

ヒヨコ 白泉が感じたような…戦争の足音?

 

タコ それとも、チェルノブイリ原発事故をはるかに上回る健康被害?

 

うさぎ あるいは…わたしたちの生活を根こそぎ破壊するような新自由主義の流れ?

 

 いずれにせよ、わたしたちの「うしろから迫り来るもの」には、ひとつ大きな共通点があるのです ―― それは、かれらは太鼓を打ち鳴らし、笛を吹き鳴らしてはやって来ないということです。かれらは…自分たちの足音は聞こえないように、抜き足差し足でこっそりと、そして巧妙に…やって来ます。

 

 気がついた時には、もうやつらは、わたしたちのすぐそばまで来ている

 

     そのことに注意しないといけません。

 

 

 

  トイレはどこだ!? in 新宿(2016年10月30日ブログ