草花の好きな…
いえいえ…草花にかぎりません、もっと言えば、大自然の大好きな守良詩乃です。
だから、
わたしは…店舗に並んでいる〈値札〉のついた“草花”には、あまり関心が無いのです(むしろ…そういう草花には「ご愁傷様」と静かに頭を下げたい気持にもなります。それはペットショップの“檻:おり”に入れられたワンちゃん、ねこちゃんに対する思いとちょっと似たところがあります)。
野に咲いている、さりげない草花が、わたしはとっても好きです。
でも、そういう草花に限って、「庭いじり」の好きなオバさんたちが、軍手をしてシャベルをふりかざしてひっこ抜いてしまうのです。本当に…ああいう行為って
理不尽だし、残酷だと思います。
(注:店舗で草花を売る行為までは、わたしは商行為として大目に見るのです。でも、線路わきに生えている草花を意味もなく引っこ抜く行為は、動物虐待と並んで…植物虐待だと思うので、そういう行為も法律で禁止して“可視化”して欲しいです。草花を売り物にして、それを買いたい人が買っていく…その場合には、売る人・買う人双方が、いちおう草花を慈しんでいますものね…。でも、自分の家でもないのに、わざわざ軍手をして公道に咲く草花をひっこ抜いてはゴミ袋に入れる、その神経がわたしはわからないのです。それって…草花殺人です)
人の手によって、お花が…いわゆる…「いい感じ」にアレンジされているのって、そのアレンジ具合がじょうずであればいいのですが、そうでない場合には、わたしはあまり関心が湧きません。
あと…こんな感じ(↑)で、「お花」がインテリアのグッズとして使われているのを見ると…多少悲しい気持ちになります。
何と言うのか…生きている花々が「拉致されている」感じ。
お花だって(コトバは発しませんが)は自由に生きたいのです。
それは、わたしたち人間が(わざわざコトバに出して言うことはなくても)「自由に生きたい」と願うのと同じ心理と言えます。
自由に思う存分…葉を伸ばしたいし、お日さまの光を浴びたいのです。
…わかりますか…そういう草花さんたちの気持ち ![]()
だから、逆に、人間の気持ちなんか、これっぽっちも考えず「これがオレの生き方だぁ
」って感じで生きている草花を見ると、わたしは心から拍手を送りたい気持ちになるのです。
人サマの感性で、
人サマの都合で、
人サマの勝手で、
草花さんたちを切ったり、曲げたり、枠で囲ったり、植木鉢に入れ替えたり…さらには売りに出したり…というのは、(ホントウは…)よくないのです。
もっと、その草花の〈声なき声〉に耳を傾けてあげて、本当に、その草花の生きたいように生きることをさせてあげればいいのではないでしょうか。
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わたしのいう…「人間の気持ちなんか、これっぽっちも考えずに『これがオレの生き方だぁ』って感じで生きている草花」って、…例えば、こんな感じ(↓)。
それに比べると…こういう草花(↓)は、「草花さんたちの気持ちを尊重する」という視点からは、ホントはだめです。何だか、校庭で…ず~~~~~っと一列に並ばされて【前へならえ】をさせられているようで、かわいそうです。
それに比べると… 駐車場わきの…
こちらの方は(↑)、荒々しい〈いのち〉そのものをわたしは感じるのです。
愚かな人間どもが、地面をコンクリートで固めようとそんなことはおかまいなしで、芽を出して来る、葉を茂らせる…って、ものすごい生命力。![]()
この写真の右下&左上、対角線上に咲く…各1輪ずつの可憐な花の…何と力強いことか…
何もわからない…園芸好きのオバちゃんなんかは、
こういう荒々しい〈いのち〉の躍動がわからずに、
パッパッと無粋(ぶすい)に抜いてしまうのです。
そうじゃないでしょ…![]()
こういう荒々しい〈いのち〉の躍動感を、もっと(わたしたちの側が)敏感になって、そのスゴさ、素晴らしさを感じられるようにならないと。
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何て言うかなあ…、
フラワーアレンジメントって決して嫌いではないですが、「造化の妙」なんです。
たとえてみると…こんな感じ。
こういうテクニックって、たしかにすごいのです。
でもね、岩場をヒョイヒョイと飛び跳ねて越えていくカモシカの躍動というのは、また次元のちがう凄さでしょ?
カモシカさんたちの跳躍って、文字通り、生命が躍動している感じがします。
カモシカさんたちは、上の雑技団の人たちがやるような…毎日のトレーニングなんかは、まったく要らないのです。そんなトレーニングをしなくても、カモシカの命の塊が、楽々と険しい岩場を、飛び越えて行くのです。
わたしが…世の中で「雑草」と呼ばれて、土いじりの好きな人たちから“虐殺”されている草花の秘めているスゴさって、岩場をいとも簡単に飛び越えていくカモシカの躍動感に共通するものなのです。
そういうカモシカのすごさって、それを見ているわたしたちには中々実感しにくいところがありますよね…。
“雑草”の凄味というのも、それと似たところがあります。
わたしは、足場の悪い岩場をヒョイヒョイと飛び越えていくカモシカや、コンクリートの隙間から葉を生い茂らせる“雑草”の力強さに、心ひそかにあこがれているのです。
(チョットダケ…追記)
大阪万博(1970年)のテーマは「人類の進歩と調和」。そして、それに噛みついたのが、岡本太郎(1911~1996年)さんでした。
進歩? 人間なんて(科学技術は進歩したかもしれないが、
人間の精神のほうは)まったく進歩してないダロ?
調和? お互いが、お互いの顔色をうかがいながら、摩擦や衝突を起こさないようにしていることが調和なのか? もっと個人と個人とがはげしくぶつかりあって火花を散らし合う中から本当の調和が生まれて来るのであって、妥協や媚びへつらいが幅を利かせている現代にあって「調和」なんて言葉は…ちゃんちゃらオカシくはないか?
太郎さんはこういう事を言って、「太陽の塔」を覆う屋根なんかもぶち抜くことを主張し、万博を取り仕切っていた当時の建築界の“ドン”丹下健三(1913~2005年:太郎さんと2つ違い)なんかとも文字通り取っ組み合いのケンカもしたらしいです。
わたしは…そういう岡本太郎さんの生き方に共感するひとりですが、おそらく…わたしが今日書いたことなんかも、太郎さんが読んでくれたら、おそらく…「詩乃ちゃん、いいこと書くね~」なんて言って抱きしめてくれると思います。
…て言うか、もしかしたら…
「なんだよ…いまさら、そんな当たり前のことを書くなよ。そんなこと…もうオレが50年も前に書いちゃったよ」
「詩乃ちゃん、そんな当たり前のことはいいからさ…、もっと誰も書いたことのないようなことを書きなさいよ。そうしたら、ギュっとハグしてあげるよ!」
――と、こんなことを言われそうな気もします。
◆ コノ人ハ…誰デショウ?(2017年11月2日ブログ)
◆ 「86歳のチアリーダー」記事(2018年2月19日ブログ)







