オイゲン・ヘリゲル② 

  

 オイゲン・ヘリゲル(1884~1955)が来日中の5年間に、阿波研造師範に弓術を習った話、その中で特に阿波師範から「的をねらってはいけない」ときつく戒(いまし)められ、そのことについてヘリゲルが悩む話について、このブログで取り上げているところですが、今日はそれとはちがうエピソードをひとつ。

 

 

 『日本の弓術』(岩波文庫)には、「新版への訳者後記」という(わたしからすると)かなり貴重な文章が柴田治三郎さんによって書かれているのです(昭和57年4月)。

 

 そこにこういう一節があります。

 

 「ヘリゲルは、晩年膀胱結石のため二度の大手術を受け、その回復がはかばかしくなく、さらに肺癌にかかって、1955年(昭和30年)春、71歳で逝去した。 

 小町谷先生が未亡人から聞いたところによれば、ヘリゲルは夫人を落胆させまいとして、病苦に懸命に堪えた。そして、ひそかに、指環が指から抜け落ちるかどうかをためし、自分の衰弱の度を計っていた。そのようにして、もはや死期が近いのを知ると、夫人が制止するのも聞かず、厖大(ぼうだい)な原稿をことごとく焼却してしまった」

(岩波文庫版『日本の弓術』P117より)

 

 夫人に心配をかけまいとして、自分の衰弱ぶりを指環が抜け落ちるかどうかでひそかに計っていた…というのもすごいのですが、最近、わたしはヘリゲルには、そんなにまでして隠したい“過去”があったのか…と、疑問を持ちました。

 

 「厖大な原稿」の中に、何か人に見られてはいけないものがあったのか、それらがすべて灰になってしまった今、そのことを確かめるすべはありませんが…、そういう(弓術を学んだヘリゲルとしてではなく、人間的な悩みをおそらくは抱えていたであろう)ヘリゲルにも、わたしは深く関心を持つのです。

 

 

オイゲン・ヘリゲルに関する参考文献

 

※続く⇒ コチラ