12月9日のブロクで、「ボーナス600万円の男」について取り上げました。

 

 今日は40歳で月収12万円の男の話です。

 

 その男性は、1949年広島生まれ。

 

 高校卒業後、広島から離れて就職しますが、体を壊してふるさとに戻ります。日雇い労働や食肉加工業の仕事を経て、33歳の時に広島・基町(もとまち)アパートという公営団地の清掃員の仕事を始めます。

 

 清掃の仕事を始めるのは、午前4時。20階建て、総戸数3000の市営住宅にある商店街の清掃を男性は担当しています。

 

 その仕事を始めて7年後、40歳の時に男性は、ある女性を紹介されます。相手は看護師さん、男性より7歳年下でしたが、収入は相手のほうが上でした。男性は「結婚はしないでおきましょう」と言い、女性もまわりから反対されるのですが、ふたりは結婚します。

 

 40歳の時のその男性の収入は月に12万円。ふつうならそれ以上の収入を得ている女性からしてみれば、「結婚」には中々踏み切れないと思うのですが、その女性は見るところがちがっていたのでした。男性との結婚を決意した時のことを、こんなふうに語っています。

 

 「他人に対して、すごく誠実なところがあるんです。人間て、経済的な問題とか、そういうことも大事だけど、そういうことだけじゃないですよね。命が終わるまでに大切なことって…」P116より)

 

 ――いい言葉ですね。

 

 人間を年収とか、地位とか、身なりなんかでは見ずに、もっと深いところで見る、このことはとっても大切だと思います。

 

 あ…男性の名前を書き忘れましたが、清掃員をしながら、自分の仕事上のパートナーである掃除道具を趣味で描き続けるガタロさんです(ガタロさんの画集は「世界一小さい図書館」の開架に入っていますので、どうぞみなさん手に取ってみてください)。

 

 ガタロさんの画集では、四國五郎1924~2014)さんとガタロさんの交流も紹介されています。ガタロさんは清掃員の仕事をしながら絵を描いていて、ほかの画家から個展の招待状をもらうこともあったそうです。

 

 仕事から、そのまま個展のオープニングパーティなどに行くと〔注〕、その風体(ふうてい)から…「ちょっと…遠慮してくれ」と言われることもあったそうですが、四国五郎さんは絶対にそういうことはなく、行けばだれかと話していても必ず四国さんはガタロさんの姿を見つけて「よく来てくれました」というふうに、嬉しそうに駆け寄って来てくれたそうなのです。

 

 〔注〕画家の個展(オープニングパーティ)に「作業着」で出席してよいのか…というのは

ムズカシイ問題ですね。まぁ…ふつうは、「作業着」はNGでしょう…。でも…どうなんだろ?

ガタロさんは、いちおう着替えて行ったんじゃないかなぁ…と、いま書いていてそんな気が

して来ました。いちおう平服でパーティに行って「ちょっと遠慮してくれ」は無いですよね…。

 

 

 

 その四國五郎さんが表紙絵を描いた峠三吉1917~1953、享年36歳)さんの『原爆詩集』、…四國さんの挿し絵…あったかなぁと思いつつ、詩集を探してみましたが、絵はありませんでした(わたしの持っている『原爆詩集』が“新編”だったからでしょう。)。

 

 四國五郎さんの絵も紹介できるかと思ったのですが、できませんでしたので、同じくガタロさんの画集にもちらりと出て来る、森滝市郎(1901~1994)さんの文章を紹介します。これは森滝さんの『核絶対否定への歩み』の一節〈生存のために〉にある「核絶対否定」の宣言です。

 

チューリップ

 

 「さて私たちの運動は、広島・長崎の体験から『核兵器絶対否定』の運動として起こりました。従って初期の段階では、私たちも核エネルギーの平和利用のバラ色の未来を夢みました。しかし今日、世界でほとんど共通に起こってきました認識は、平和利用という名の核エネルギー利用が決してバラ色の未来を約束するものではなくて、軍事利用と同様に人類の未来を失わせるものではないかということであります。

 

 つまり、平和利用という名の原子力発電から生ずるプルトニウムは、いうまでもなく長崎型原爆の材料でありますから、軍事利用に転用される可能性があることは明白であります。またプルトニウムは、半減期二万四千年というもっとも毒性の強い放射性物質でありますから、まことにやっかいきわまるものであります。しかも、それは天然自然にあるのではなく、全く人工的に生産されるものであります。ですから、原子力発電がたとえ安全であるとしても、そこでは多量のプルトニウムと放射性廃棄物が生産されるのであります。しかも、その放射性廃棄物の究極的処理の道はまだ解決されておらず、解決の見込みもないといわれています。

 

 こんな状態で、人類のエネルギー源は、核分裂エネルギーに求めるほかないといって原子力発電所をこぞってつくり、そこからプルトニウムと放射性廃棄物を莫大(ばくだい)に出し続けるということになれば、そのゆきつくところはどういうことになりましょうか。核分裂エネルギーにたより続けたら、この地球全体がプルトニウムや放射性廃棄物の故(ゆえ)に人類の生存をあやうくされるのであります。

 

 私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが。いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーの利用をも否定しなければならぬ核時代に突入したのであります。しょせん、核は軍事利用であれ平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、と断らざるをえないのであります。結局、核と人類は共存できないのであります。

 

 共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。

 

 核兵器を絶対否定してきた私たちは、平和利用をも否定せざるをえない核時代に突入しているのであります。『核兵器絶対否定』を叫んできた私たちは、いまやきっぱりと『核絶対否定』の立場に立たざるをえないのであります。『平和利用』という言葉にまどわされて『核絶対否定』をためらっていたら、やがて核に否定されるでありましょう。

 

 先日の国際会議で私があえて提起したテーゼは、『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』ということでありました。くりかえして申し上げます。『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』と。

 

 人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆三十周年のこの大会で、全世界に訴えます。

 

 人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されてはいないのであります。」

 (森滝市郎『核絶対否定への歩み』〈生存のために〉より)