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憎しみを持つ者ほど母性的な存在に深く依存をしてしまうのは、その者が心理的な離乳を果たせるだけの、心から甘えられる存在との邂逅がなされなかった傾向が強い。
人間にとっての捨てきれぬ執念と呼べるものの原点を遡ると、どうしてもその者にとってのやるせなく解せない矛盾との凄惨な戦いがある―。しかしその戦いは常にその者にとって勝ち目のない劣勢に立たされているのである。
心に傷を負った者の人としての冷たさとは、「自分を守る」働きが酷く強い一面がある―。つまりこのように傷ついた者が周囲を最後まで否定できる極悪人になりきれないのは、自分を守ろうとする臆病な意思が人一倍強いためにある。
国民の所得や納税力の低下によって、それでも国家の経済や運営が成り立つのは、要するにその国家の軸や手足となる公僕達のあらゆる部分に一切の「無駄」がないことを如実に証明しているのである。
傷ついた者にとって栄誉ある脚光を浴びることが最大の報復である以上、その報復の矛先を向ける相手は同じ舞台の上ではなく、声援を贈る観客席の中にいる。
「ないものねだり」をすることがいかに無価値なものであるかと気がつくことで、人は必然的に自分にとって十分価値のあるものを有していることに気がつくのである。
「熱しやすく冷めやすい人間」―。その人間に共通していることは、望むもの全てを与えられてきたために、「本当に価値のある大切なもの」を何一つとして持っていないことについて。
自分だけは選ばれし特別な存在だと認識する、自 己に陶酔する過剰な自己愛と呼べるものを持つ者の表情は、みな決まって「不機嫌」そうな面差しをしているのをよく見かけるのである。
傷ついて物事の過程に一切の価値を持たず、結果にしか関心を持たなくなる冷たい心は、皮肉にもその人間にとっての残酷なまでの「知性の鋭さ」を如実に顕しているのである。
あらゆる「自己犠牲」は基督に通じ、あらゆる「懊悩」は仏陀に通じる。
対立することではなく横から介入することの方に美徳が必要なのは、大義名分のための当たり障りのない体裁に拘る必要があるためにある―。これは個人間での諍いにおいても、国家間での戦争においてもそうだ。
自分をどこまでも責めきれない気質的な悲観主義や劣等感と呼べるものは、その者が社会の中で人との関わりを避けて、協調する文化に興味を示さなかった部分から派生しているのである。
報復を企てることでしか傷ついた自尊心を癒すことができないのは、厳格な父親からの愛情に欠け、過剰な母親からの愛情を注がれて育った「気持ちの弱い人間」に多く見られるのである。
これまでの恋人に「足りなかったもの」を新しい次の恋人に求めてしまうのは、意外と本人が「受け入れられなかった」ものを相手に求めているケースが目立つのである。
下手に救いの手を差し伸べることで相手の自尊心を逆撫でして傷つけてしまうのは、本人に個として独立する尊厳と意思があるためにある。
間違った社会に対して正当に抗うほど人間の心は鋭利な若々しさを保ち、従順であるほど諦観から人間の心は覇気のない穏やかさに支配されるようになる。
時間がなくて自由を奪われているという考え方ではなく、時間があり余り過ぎているために逆に自由を認識できない考え方こそが、有害で生産性のない「自由という名の処刑台」の上に立たされているのである。
長所は虚栄心の中にあって、短所は自尊心の中にある者は、概ね自分のことを「嫌っている」人間が多く見られるのである。
あらゆる「生」の支配を受けた有限なるものが全ていつかは醜く朽ち果てる以上、そのものに「完璧」を求めることで人は余計に傷ついてしまう運命の下にある。
自分だけは特別だとして他を排他する鋭利な自己愛の正体は、ありのままの自分に対する埋めようのない不満と、理想の自分に対する報復願望の強さから派生している例が多く見られるのである。