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投げやりや捨て鉢といった、外的に自己を爆発させようとする放縦な感情の中に、自分の思い通りにならないと、卓袱台をひっくり返す、自らを長とした古き良き「昭和世代」の頑固親父が住んでいるのである。
多忙であることがこの世におけるあらゆる呻吟や煩悩から解脱することができると思う時、人の心は確実に「求めない」ことで幸福の在り処を知るのである。
不完全さは人間の毅き愛に宿り、完璧さは人間の脆弱な恐怖に宿る。
情熱と幼気さを永遠に心の中で失おうとしないことが、人が「矍鑠」と老いていくための唯一の方法である。
明確な私怨による犯行ではなく、社会に対して無差別な犯行を企てる者ほど、その動機を洞察すると、極めて幼気で子供のような単純な動機と犯行までの経緯が見て取れるのである。
例え相手を傷つけたとしても、相手の尊厳まで踏み込んで救おうとする勇敢な優しさこそが、人を本当の意味で「自立した幸福」へと導いていける力があるのである。
幼げな卑屈さによってしか危うくなった立場を覆し、不満の残る心に安堵の火を灯すことができない時に限って、憎しみを抱く相手に対する正当な報復の手段はたかが知れているのである。
自らに対して肯定と従順さを捧げてこない不服ある者に対しても、否定せずに違う角度からその者の価値を見出すことができる者は、概ね感情ではなく「理性」によってものを見る視野を有しているのである。
相手に対する敬意を示すために不服なく迎合することができる者は、そうではなく抵抗する心を持つ者と比較しても、まだ健全な自尊心と呼べるものを有しているのである。
憎しみを抱いて内部へと抑圧してしまった感情は、常に本人の精神世界の中で絶えることなく燻り時効の成立を否定するが、皮肉にも現実世界においては既に「過去の話」として忘れ去られているケースが多い。
世の中を正しい方向で俯瞰するほど世界は理想的に広大に見えて、逆に世の中を間違った方向から俯瞰することで世界の縮図が我々の身近な人間関係で認識することが可能となる。
自らに失望した時ほど分かち合うことをせずに奪い合うことをするのは、その者が十分に「満たされている」ことの証である。
「華」がなければ一人で呑めなくなる酒は、彼の人生が苦役によって傷ついて、自分のことを「特別」だと思わざるを得ないためにある。
近辺にありすぎるために認識できない自然の恩恵は、その者の無意識な精神の中で常に自然であるように働きかける意図を有している―。人が意識のない部分にまで変革の意思を込めようとしないのは、主立ってその部分に変革の仕様がない自然な力が宿っているためにある。
際限なく自らを犠牲にできる極限の愛は、恵まれて満たされてきた人間の心ではなく、逆に恵まれずに生きてこざるを得なかった人間の心の清貧さと忍耐強さに宿る。
凪いだ人生をこよなく愛せる無難さは、人生という航海で猖獗した嵐の恐ろしさの前に跪いたためにある。
快楽の先にではなく、出口のない懊悩という螺旋思考の先に、我々人間は「神」と呼ばれる存在の足跡を薄ぼんやりと自らの精神世界で垣間見ることが可能となる。
歳不相応に他人から若く幼く感じられてしまう人間の心とは、その者が歳を重ねることに自由且つ気楽であったためではなく、逆に深く答えのない「葛藤」をしたためにある。
可憐であどけない美しさの中に光る一種の不完全な危うさと呼べるものは、それに快楽を与え続けることで、一層人々を懊悩させる蠱惑的な「艶」が滲む。
人生の苦痛や呻吟から逃れるために、若い頃から酒に溺れてしまう男性は結婚が早まり、逆に酒に溺れる若い女性は決まって結婚が遅くなる傾向がある。