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相手の常識のない分別のなさを素直に聞き入れられる心の中には、その者の自分に対する屈強なる信頼がある。
自分の感性や心の中で自分が嫌っている部分と同じものを持った相手のことを、一般的に我々は「相性が悪い」として認識するのである。
破壊する時に感じる良心の痛みを理解する者は、創造し産み出す時の陣痛に対しての耐性がある。
人間にとっての優しさとは、受け取る側が理性的になるほどその正体が明るみに出て、躍動する感受性に従って受け取ることで、余計にその本質と呼べるものが曖昧になって掴み辛くなる。
人間関係を上手く構築できない人間ほど、人に対しての興味や関心を持たないのは、その者が概ね自分に対しての劣等感が人一倍強いことに因する。
人間の手痛い敗北や懊悩から生じた婉曲的な厭世哲学と呼べるものは全て、厳しくとも多忙を極める勤勉なる労働者が抱く現実的な思想の前では永遠に歯が立つことはないであろう!
妥協して選んでしまったものの責任を受動的に取ろうとするごとに、皮肉にもそれ以上の妥協をする羽目になってしまう例が極めて多く見られるのである。
人間の心の若さとは、自分を深くこよなく愛することではなく、自らの意思で自分を傷つけて追い詰める痛みに耐えることで、より瑞々しい若さを保つようになるのである。
相手が差し出してくる「優しさ」が真なる価値を抱くかどうかについては、その優しさが平穏な時の中ではなく、危機に瀕した動乱の最中に確認するのが最も手っ取り早く真実のものかどうかを判別することが可能となる。
心に傷を負って屈折した心理学者は、対象の従順な穏やかさを愛することはできたとしても、自分とは異なる、対立した聞き分けのない部分をどうしても愛することができないのである―それはどうやら、その対象の聞き分けのない強情な部分よりも、当の自分の気持ちを優先してしまう脆さがあるためにある。
体面的な理由から男が意地を張る時、女から見てその姿は酷く「単純」に映り、同じ理由で女が意地を張る時、男から見てその姿は酷く「複雑」に映る。
相手の短所を非常識だと非難する時の心理の方が、人はまだ自らの優れた部分を健全な常識であるとの認識がある―。こんな人間ほど人を否定することで自分は正しいという考え方を有しているのである。
神をも凌駕する人間の超越した精神世界とは、自らの意思で自らを傷つけるといった、「精神の病」によって開花するのである。
客から見て「一流」と思われるレストランにするためにはある一つの条件がある―。それは訪れた客の心の中に、料理を「待たされた」という屈辱を与えることにある―そのような逆上した心理が一番客を「一流レストランに来た客」だという認識を憤怒の中に覚えさせることができるのである。
精神力とは何か―。それは人間の弱さである気質から生じるあらゆる全ての感情を、自らの意思によってコントロールすることにある―。精神を鍛える鍛錬とは、概ねこのような作業によって培われるのである。
自らの自尊心 を犠牲にせねば報復の連鎖が収束しない以上、人が人を許してあらゆる争いを無くすためには、人から傷つけられる痛みに耐えることではなく、自分で自分を犠牲にする痛みに耐える必要がある。
どれだけ傷ついても恨まれるよりかは恨んでいる方がよい―。そうすることで、眠れぬ輾転反側する夜の痛みから、自分は無実だったと正当化することで、自分を責める苦しみから幾分かは逃れることができるためにある。
男性が髪を長く伸ばす理由は自己に対する信条への深き陶酔であり、女性が髪を短く切るのはそれまでの自己に対する永訣なる別れのためにある。
自己評価の誤謬によって生じる内面と外面との齟齬と呼べる印象は、周囲の人間からすれば極めて相手に対する第一印象と内実との差に「肩すかし」として認識してしまう例が少なくない。
利潤を最大化する目的の社会実現のために、純正な正しさと悪徳が衝突する時、人は意外と正しさではなく悪徳の方を利として選択する傾向が見られるのである。