近衛文麿を空気の読めない優柔不断のお坊っちゃまで能力がないようなことを書きましたが、可能性のあったXdayを作り遂行したのは近衛文麿だったのです。

リアル敗戦時もポツダム宣言受諾派の一人でソ連仲介による和平工作では中心的役割でした。

だから本人も戦争犯罪人で逮捕されることはないと考えていた理由の一つです。

私見ですが日本が8月15日より前に敗戦を受け入れる可能性があったのはこの場面だけと言い切ってもいいでしょう。

もしも成功したら本土空襲も原爆2発もなく戦争は終わっていたのです。そんな瞬間を近衛文麿が仕掛けたのです。

それは大臣経験者の木戸幸一と吉田茂らと画策し昭和天皇も希望されていた重臣と意見交換会開催でした。

45年2月14日近衛文麿は昭和天皇と単独会談に成功します。敗戦濃厚で早く講和に動くべきと昭和天皇に進言しています。

軍が張り巡らせた鉄壁のガードの隙をつき昭和天皇と単独会談し敗戦濃厚を伝えたことはすごいことでした。

昭和天皇が正確な戦況を理解していた可能性はほぼないのです。ここで昭和天皇の心を動かしていれば…

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87


その会談で昭和天皇へ手紙を渡していました。軍や閣僚も共産化しているとか敗戦より危険な共産革命起こるなど、


昭和天皇への手紙の内容が話しにならなかったのです。  

これを近衛上奏文といいます。
読みにくいですが現代語訳です

https://hiizurutokoroshinbun.blogspot.com/2013/08/blog-post.html?m=1



今でゆう陰謀論満載です。これでは昭和天皇が受ける印象も敗戦濃厚やヨーロッパの共産化などの現実的なことも霞んでしまいます。

当然昭和天皇は近衛上奏文を無視しました。

近衛上奏文は疑惑が浮かびます。昭和天皇が連合国と講和し軍部や東條英機に戦争責任を押し付け自身は新政府の要職につく画策だったのではないのか?

現代語訳ソースの最後では近衛文麿が敗戦後共産革命を起こす本人だったのではないか?ここまで疑っています。  

この疑惑はいろんな人が報道したり本にしています。wikiのソースにも書かれているし産経新聞では断定しています


https://www.sankei.com/article/20180225-OS2EQI5HHJKI5HTOBNTQTNOVK4/



3度の総理時代近衛文麿は戦後自身の要職復帰や日本の共産化のために考えられた作戦だったとは思えないほど稚拙でした。

私はここまで考える策士だとは思いません。まるで空気が読めない優柔不断なお坊っちゃまエピソードの集の3度の総理時代でした。

そして決定的なのは近衛文麿が中心だったソ連が仲介する和平工作もソ連が日本側につき和平の仲介をしてもなんの得もありません。

事実ソ連は条約を突然破棄し連合国側で参戦。結果戦勝国入りしてます。いくらなんでもこの結果が近衛文麿が狙った自身の要職復帰や日本の共産化にはならないでしょう。

日本の共産化の危険も誰かのウケウリで近衛上奏文の中心にしただけのような気がします。

共産化したいのに昭和天皇に対し日本の共産化が進んでいる、敗戦の混乱より共産化の脅威や共産革命の危険を説いた近衛上奏文もつじつまは合わないですよねぇ。

近衛上奏文のずっと後のソ連仲介による和平講和が実現したときのみ自身の要職復帰の可能性があっただけです。
 

次に近衛上奏文で連合国側、特に米英世論は日本の国体の変更まで求めていないとあるので可能性を考えてみます。

近衛文麿が進めたソ連が仲介する和平はソ連に全くメリットがないように敗戦国日本の国体維持は連合軍にとってなんのメリットもないのです。

もしも近衛上奏文が成功し昭和天皇が敗戦受け入れたとしても昭和天皇の命は勿論近衛文麿の命もありません。


連合国側は8月15日敗戦より厳しい粛清を行ったしょう。数千人単位で処刑されたかもしれません。
 
戦争に向かったほぼ全てに関わり天皇の血を引く近衛文麿だけが助かる見込みはありません。

8月15日米英国民が日本を許したのは2発の原爆も含め日本の都市京都以外すべてを焼き払ったからです。

そして圧倒的戦力で包囲し沖縄戦を仕掛けましたか陥落するのに3ヶ月もかかり大損害を出しました

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6


米軍は沖縄戦クラスの被害が今後何年続くかわからない本土決戦になることは絶対に避けたかったのです。

この連合国側の8月15日日本敗戦の大きな要素がすべてない中で日本国体の維持、つまりは形を変えた天皇を中心とした国家を支持するメリットはありません。


違う角度から見てみます。近衛上奏文の2月は3月26日沖縄戦の前で本土空襲前なので都市がすべて無事です。 

この状態で仮に3月15日敗戦を受け入れていたら清国の上海のように連合国側が大量の民間人を送り込み日本の各都市で祖界作り駐留したかもしれません。


外国人に治外法権の土地を提供し経済活動されたら経済植民地です。儲かる所を全て外国人が抑えることになります。

経済植民地になって反映した国は存在しないのです。早期講和はこのような結果になった可能性もあります。

近衛文麿から離れもう一つの早期講和の可能性があったのは7月26日連合国はポツダム宣言を日本に勧告してます

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8Ehttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E


ポツダム宣言を初めて日本が見た日です。鈴木貫太郎の黙殺コメント翻訳がノーコメントではなく拒絶や絶対的無視だったから原爆2発は使われと言われることも多いです。

トルーマンはそこには触れず正式な回答がなかったから8月3日以降新型爆弾を使うとコメントしています。


そして原爆2発が使われソ連参戦。

7月26日日本がポツダム宣言を受諾していれば2発の原爆が落とされることなかったことになりますがこれも怪しいです。

太平洋戦争の始まりは白人のように振る舞う劣った日本を封殺する目的でやったことがABCD包囲網


https://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2https://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD%E5%8C%85%E5%9B%B2%E7%B6%B2


日清日露戦争で勝ち取った台湾満州国カムチャッカ半島半分より外に日本は出るなと包囲されたことがきっかけです。

連合国側は数年分の石油しかなく資源のない貿易国日本を真綿で締めるよう壊滅させようとしたのです。どっちにしても滅ぶなら真珠湾の奇襲になりました。


ナチスは戦争前からチェコ解体など欧州を再分割するような暴走していたのを欧米は黙って見ていたのに対し、


日本暴走と思われる行動は満州事変、支那事変と欧米が食い物にしていた中国で起きたことです。内容もチェコ解体に比べたらかわいいもの。


ナチスだったらしないけど日本だからやったことは原爆投下も同じだと考えています。

莫大なお金を使い開発した新型爆弾を使わない選択がアイゼンハワーやトルーマンにできたでしょうか?

もしも使わなければ米英国民の溜飲が下がることもなかっただろうし戦後処理でソ連は力を持ちアメリカ主導の戦後統治はできなかったでしょう。

難癖を付けたりポツダム宣言受諾が聞こえないことにして原爆は使った可能性は高いと思います。

8月15日より条件よく敗戦は無理だったのではないでしょうか?もっとも8月15日より前の敗戦受け入れを日本軍が許すなんて考えられませんが。