バルチック艦隊撃滅の裏では、日本帝国陸軍は惨憺たる状況で、

一度戦いだしたら止めることがなかなかできないようで、

第3次総攻撃までに発展してしまった。

これに対して帝国海軍は、海軍陸戦重砲隊が陸に大砲を運び、

山越しに旅順港に停泊中の軍艦に向け網の目状にぼかすかと打ち込んだら、

炎上大破して誘爆を恐れたために、

弾薬、火薬、大砲までの旅順要塞に揚げられていたため

ロシア旅順艦隊は無力と化していたんですね。

当時は電話も無線もない時代ですもんね、情報が203高地を挟んだ

乃木さん達に届いていなかった。

15万の参加兵力のうちの約半数の7万人もの死傷者を出しているんですって。

信じられますか?

一方ロシアはというと参加兵力4万4千人の内3万にを越す死傷者です。

まさに屍山血河ですね。

他にも3つの会戦遼陽・沙河・奉天とありましたが、

それらも日本陸軍参加兵力58万6千人、死傷者11万4千人

一方ロシアは参加兵力76万人死傷者11万5千人

しかも補給が効かない状態の全軍をあげての戦いでした。

ロシアの方も同様に補給も増兵もできません。どうしましょうか?

まだロシアバルチック艦隊がバルト海から遠路はるばるウラジオストック港に

向かってきています。日本海軍はほとんど無傷ですが、

バルチック艦隊は世界に冠たる艦隊です。

当時イギリスは清朝の権益に対してまだまだ貪欲に貪り取ろうとしていました。

ロシアもドイツもオランダアメリカもです。

日清戦争に勝った日本は西欧先進国にも列強の植民地となったアジアの国々には

一目置かれる存在となりましたが、

イギリスにとって日本は、ロシアによる清の東北部や朝鮮半島に南下するのを阻止す

 

る国として便利な存在であったためもあり同盟関係にありましたので、

ロシアバルチック艦隊がウラジオストック港に入港するのを遅らせるため

に食糧補給制限や給水制限、寄港を拒否といろいろと邪魔をしてくれました。

旅順港のロシア艦隊は無力化しましたが、

その前にバルチック艦隊が近海に来ていたら日本は敗戦国となっていたでしょうね。