母との思い出は、毎週幼稚園がお休みの日にパチンコ屋に連れていかれたこと。
昔は子供もパチンコ屋に入れた。
母はいつも私が好きだったキャラメルの話をした。「サイコロキャラメル買ってあげるから一緒に行こう」と言われ、私はついて行ってた。
パチンコ屋の前の階段で、雑草を見たり変なおじさんに話しかけられたり、ママ早く戻ってこないかなあ、、と思いながら何時間も待っていた。
ある日は、夜中に雀荘に連れていかれ、知らないおじさん達が数人居て、怖かったのを覚えてる。個人経営の小さな店だった。
煙草の煙で目が痛くなるほど、煙が充満していて真っ白な部屋で、母が麻雀をしているのを見ていた。
そこの雀荘を経営しているおばさんの娘二人に、私の母が「ちょっとこの子の相手してやって」と言い、その子達は「遊ぼうね〜」と私を雀荘の2階に連れていった。二人とも小学校高学年だったと思う。
そこで「なんかこの子気に食わない」と、馬乗りになられぶったり蹴ったりされた。
泣いたけど、彼女達はやめてくれなかった。帰道、母に話そうと思ったけど、ベロベロに酔っている母に伝わる気がしない。そしてまた私は、私が悪いのかも。私がおかしいからいけないのかも。言ったらぶたれるかも。と、ただただ明るく振舞うことしか出来なかった。
こんな母の話をすると、お父さんは何も言わないの?と思うだろうけど、父は、何も言わない。諦めているような雰囲気がいつも漂っていた。
母が毎日パチンコに行っていることも、夜中に私を連れて雀荘に行くことも、私を虐待することも、歯を磨かないことも、お風呂に全然入らないことも、全部、知っているのに。
「お父さん助けて」と、私が母に暴力を受けた時に泣いて縋っても、父はただいつも通り「やめろよ〜」と小さな声で言うだけ。
母は専業主婦という肩書きだけで、家のことは料理以外殆どやらず、パチンコ、麻雀ばかりしていて、そのお金はというと国家公務員をしていた父が出している。父はそんな母が嫌じゃないのか?なんで別れないんだろう?なんで助けてくれないの?と不思議に思っていた。同時に両親に対する怒りもあった。
学校から帰ると、まな板に切りかけの生肉、鍋に途中まで作ったスープ、電気、テレビつけっぱなし。でも家には誰も居ない。母はそうやって突発的にパチンコや遊びに出掛けて行っては夜中まで帰ってこない。数日たっても腐った食品がそのままになっていたりした。
昔から夢をみる。いつも家が全焼して家族が死んでしまい、私はほっとして笑ってる。家に放火したのは私。
階段から母を突き飛ばして、母が死ぬ。警察が来て私は連れていかれる。そんな夢。
そして起きると夢だったということに絶望し、反対にこんなことを考える自分を責めていた。罪悪感でいっぱいだった。
小学生のころ、母の口癖は
「あんた何か悪い事してるんじゃないだろうね?」
「なんでも知ってるんだからね!!」
だった。
何か悪い事ってなんだろう?と思った。
そして、毎日毎日家の中で私の行動をずっと目で追ってくる。祖母も。
私は何か疑われないように、変じゃないように、嘘なんかついていないけど嘘だと思われないように、びくびくして行動と会話をした。その頃になると「なんでそんなに見るの?」「やめて」と頑張って言っていた。でも、全部話きる前に手が出る。
家に居ても緊張する。家族と話すことが怖い。気持ち悪い。喜怒哀楽が出せない。自分の気持ちは言わない。言ったらぶたれるし。と思うようになっていった。
そのうち私は親が言ったように、平気で嘘をついたり、隠し事をしたり、自分のことは話さない、と、本当にそういうことをする子供になった。
親が機嫌で怒ると、子供は全部隠すようになる。本来なら隠さなくてもいいようなことを。嘘を付かなくてもいいようなことも嘘をつく。だって、怒られたくないし、疑われたくないから。本当のことを話しても怒られるし疑われるのなら、怒られる確率の低い嘘を話す方が楽だった。何がきっかけで親が怒りだすのか全く分からなかったから試行錯誤して。親の怒りには統一性がなかった。でもいつも、なんでこんな嘘をつかなくちゃいけないんだろう?怒られるようなことじゃないよね?なんで私は怒られるんだろう?とも思っていた。
具体的に言えば
学校から帰ってリビングに私がいると、母がパチンコから帰ってくる。ただそれだけのことなのに、母は「何か悪い事してたんじゃないでしょうね!!」と言ってくる。
悪い事って、、、私がリビングで親のものを漁るとか何か盗むとかそういうことだろうか?
と思いながらも「えっ、何にもしてないよ」と、小さく答える。
次からは、母が帰ってくるときは出来るだけ怪しくないように、怒られないように、母がリビングに来た瞬間に水を飲み出す。ただ水を飲んでただけですよ〜と言う雰囲気を出しながら。そうすると、何か言われても「水を飲みに来ただけだよ」と言える。
そうやって水じゃなくても何でもいいから、ただ私はこれをしていただけです、という雰囲気を出していつも無意味な演技をしていた。本当は悪いことなんてしていないのに、していないと思われたいが為に、していないような演技をわざわざする。
家にいる間何度もこんな演技を繰り返す為、私はずっと緊張していた。
中学生になった私は、まだいじめられていた。この頃にはもう、小学校でのいじめや親の目で、誰かがひそひそ話していると全部私のことを言ってるんじゃないかと思うようになった。人間不信から人と話すのも怖くなっていた。
そんな時、生理が来た。
初めて頭によぎった言葉はいつも通り「どうしよう。怒られる。」だった。
私は生理が来たことすら、親に言えなかった。恥ずかしいのではなく、話すことが怖くて。
隠し続けた。血で汚れてしまった下着を自分の部屋に隠した。
友達に話したり、ネットで調べたら、どちらも同じ様なことを言っている。
「恥ずかしいことじゃない。喜んでいいこと。お母さんは怒らないから大丈夫。勇気を出して。」
1%くらい、私の親も怒らないんじゃないか。という期待が湧いて来て、今日話そうかなとドキドキしていた。
学校から帰ると、父が仕事から帰って来ていた。その目の前に母が怒った顔で現れ「あんた!生理がきたなら言いなさい!また隠して!汚い!気持ち悪い!!」と、父の前で大声で叫ばれた。
部屋に行って泣いた。父がいつものように私の部屋を漁り、見つかったんだろうと思った。父に見られた恥ずかしさと、恐怖でどうしたらいいのかわからなかった。
「私から言えば怒らなかったのだろうか?気持ち悪いことなの?先生は学校で、おめでたい事だと言っていたのに。お赤飯炊いてくれたとか言ってたなあ」と考えながら。
もちろんお祝いなんてあるはずもない。
母は閉経していたから、家にナプキンや汚物入れもなかったし、用意してくれることもなかった。
どうしたらいいのか分からず、それまで通りトイレットペーパーを何重にもして使っていた。
3日後、帰って来た母がナプキンを放り投げて来て「使いな」と言ってくれたけど、尿もれパットだった。ものすごく小さい。
それで済むわけもなく、血が漏れてしまって学校で何回も恥ずかしい思いをした。
母も女なのに、なんで尿もれパット?ナプキンと尿もれパットの違いが分からないの?そんなことある?と、今考えてもわざとなのか、何にも見ないで買ったのか分からない。
その後、ナプキンの支給は一度もなく、私はいつも自分のお小遣いで買っていた。
付け方とか分からないことは全部自分で試行錯誤して覚えていった。
使ったものは、さっき書いた通り汚物入れも置いていないので、毎月自分でゴミに出した。そのゴミを祖母に漁られ怒られるかもしれないという心配をしながら。
毒親紹介3につづく。